ETAホフマンの短編小説「ドン・ジュアン」【ドンファンの系譜ー芸術家たちの様々なドンファン像】
「地下の幽界の身の毛もよだつ音につれて、ドンジュアンも小人にしかみえないような巨大な大理石像が入ってきた。ずしんずしんと踏み鳴らす脚の下には地震が起る。ドンジュアンは風すさび、雷鳴とどろき、鬼神の咆哮(ほうこう)するなかを頑強に「否」を叫んでいる。破滅の時期は迫った。Der Boden erbebt unter des Riesen donnerndem Fußtritt. – Don Juan ruft durch den Sturm, durch den Donner, durch das Geheul der Dämonen sein fürchterliches: »No!« die Stunde des Untergangs ist da.」(本文引用)
物語は、主人公がホテルに宿泊中、音楽の騒々しさで夜目覚めると、このホテルは劇場の桟敷席へと続いていると分かり、モーツァルトの「ドンジョバンニ」の上演を運よく見ることができることから始まる。
ホフマンが描くドンジョバンニの上演の様子は、臨場感たっぷりでまるでそこ居合わせたかのように感じ気分が高揚します。
主人公は、友人のテオドールにその時の体験を手紙で知らせている。手紙の中で主人公の考えるドンジュアンは、「(ドンジュアンの)女性への快楽はもはや官能の満足ではない、自然に対する、造物主に対する、罪を罪とも思わぬ嘲罵」であると説く。「いじらしい花嫁を誘惑したり、恋仲同士の幸福を取り返しのつかぬまでに無残に破壊したりすることは、すべてこの敵意ある勢力に対する、自然に対する、さらには造物主に対する素晴らしい勝利を意味し、またかかる勝利はますます彼を狭苦しい現世から超脱させるもの」であるという。
そう考えると、ホフマンの考えるドンファンは単なる女たらしではなく「自然や神に対する挑戦者」という位置づけになり、ホフマンが敬愛するモーツァルトの歌劇ドンジョバンニに、深い意味をもたせられますね。ドン・ファンがなぜ愛欲に生きるか、様々な捉え方があって面白いと思いました。ETAホフマンの「ドン・ジュアン」はあまり認知されていない作品ですが、歌劇ドンジョバンニを劇場で観たような気分になりおすすめの作品です。
◎ドンジョバンニ「地獄落ちのシーン」
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