珍道する桂馬part9
例えば日曜日の夕方、リビングで誰かがテレビを見ている。野生動物のドキュメンタリー番組でライオンが映し出される。ナレーターが何かを語る。
僕にとってサバンナとはテレビに映る遥か彼方の景色であって実感のないものだった。
今、それが目の前にある。
異常発狂。
あまりにも広大な草原。どこ見ても永遠。
もし僕がリアクション芸人だったら横転しすぎて左肩が異様にすり減った人間になっていた。驚愕の連続。
以前、僕は木造のボロアパートに住んでいた。本棚を置いたら可動域が殆どなくなったあの狭い部屋。何故こんな狭いところで生活をしなくてはならないのか。その対比の残酷さに少し泣いた。
野生とはなんと美しいのだろうか。
あるいは文明とはなんと醜いのだろうか。
ヌーやシマウマはサファリカーが近づくとじっと見つめてくることが多い。サファリカーなんてもう珍しくもないだろうに臆病さ故に見てくるのだろうか。少しすると踵を返してどこかへ行ってしまう。キリンやゾウはあまり気にせずという感じで、サファリカーの目の前を素通りしたりしていた。ライオンは全く無関心でサファリカーが近づいてもふつーに寝てた。
ライオンが近くにいるのにずっとそっぽを向いたままでいるのは、ライブでせっかくトロッコが来たのにアイドルが反対側を向いたまま通り過ぎていった時と似た感情かもしれない。ん?
サファリに向かう途中、マサイ族を何度か見かけた。
平原をぽつねんと歩いていたりする。遠くに藁のようなもので作られた家屋がちらほら見え、こんな世界の果てのような場所にも人は住めるのかとわなわな震えた。彼らこそアンチ文明の手本なのか。
なんだか随分と遠いところまできたものだ。