とうとう父も…私は親孝行できただろうか?後悔と罪悪感と。。。
私の母は18年前に乳がんで他界しました。
画像診断では早期発見だったのが、実際手術をしたらステージ4で…
約一年の闘病の末、ドクターの予想よりもすごい速いスピードで進行し、亡くなりました。
だからと言ってはおかしいかもしれないけれど、もっと話したかったし、もっと母とお出かけしたかった…
私が流産を経験し、初めて出産して母となり、私の母にとっての初孫が一歳になる前に亡くなった母。
孫の顔を見せられてよかった…
そういう風に思うことにしました。
でも、正直、もっと子育てのこと、料理のこと、たくさんたくさん教わりたかった😓
私が子供の時は、母は介護でいつも忙しそうで、相手をしてもらえることはなかった。
そんな寂しかった記憶を埋めたかった。
後悔?
これを後悔と言っていいのかわからないけれど、母ともっと触れ合いたかったし、母を喜ばせたかった😥
生前、母はいつも私にせっかく大学に行かせてやったのに…
と嘆いていました。
そう…
私は管理栄養士として就職したにも関わらず、すぐに辞めてしまった。
そして、美容の世界から癒しを求めて転々とフリーターへ…
親孝行なんて全くできなかった😭
1人残った父。
最初は1人で何にもできなくて、毎日のように実家に行って、色々手伝っていたんだけれど、自分の子育てで精一杯で、私はだんだん実家に顔を出さなくなリました。
それから14年程経ち、父が肺癌。
早期発見かと思いきや、蓋を開けたらステージ3。
あー、また…😰
そして、一年も経たないうちに多発性骨髄腫を発症。
不安が襲ってきました。
ドクターの話を聞くと、治療を続けていれば、そんなに急に悪くなるものではないそうです。
ちょっと一安心。
この一安心したのがいけなかった。
どっかで、父はまだ元気だと、まだまだ生きると思い込んでしまった。
ついつい、子供優先で、父を後回し。
私がしたいこと優先で、父を後回しにしてしまった😰
しかも、認知症かも?
みたいなことがチラホラ出るようになってからも、少し時間が経てば、思い出すだろう…
ってすぐに私は動かなくなっていた。
あれが無くなった、これが無くなった!
すぐに来てくれ!
電話で騒ぐことがあり、実家に行くと、何もなかったかのような父がそこに居ました。
さっき、騒いでいたのは何だったんだろう…
あぁ、あれね、ごめんごめん、すぐに見つかったよって父は言う。
そんなことの繰り返しで、やっておきたいことをやってから実家に行こう!
って、呼び出されても、私は後回しにするようになっていました😫
ダメな娘です。
きついとはよく言っていましたが、食欲もあるし、父が大好きな甘いおやつもよく食べてるし、トイレもちゃーんと自分で行っていました。
ドクターも、きついって動かないことが、逆に悪循環でよくないというし、介護ケアプランナーさんもトイレに行けるから、できることは自分でさせたほうがいいって言っていました。
私もそう思っていました。
でも、予想に反して、あっという間に父は亡くなってしまいました😱
ご飯をレンジでチンするのもきつくなってきたと言うようになってきていました。
冬だったせいもあって、こたつにじっとしていることが増えてきたから、筋力が亡くなってきただけかも?
と勝手に私は思っていました。
ドクターに相談して、介護支援でリハビリを始めましたが、父はリハビリを嫌がりました。
ちょうどその頃、コロナが増えていて、子供たちも学級閉鎖など増えていたこともあって、家に呼ぶのも不安だし、私自身もかかっていたらと思うと不安で、一旦入院してもらって、その間に介護施設を探すことしようと、介護プランナーさんと話して決めました。
コロナ禍ということもあり、介護施設は新しい人の入居者をストップしていて、探すのには時間がかかるということだったので…
介護プランナーさんの協力、ドクターたちの協力もあり、入院のための手続きもやっと完了。
で、入院の日、準備をしていたら、父が急に嘔吐して、入院先に電話をしたら、コロナの検査をしてからきてほしいとのこと。
で、そういう検査予約をしたり色々電話をしていたら、その間に父は意識が亡くなリました。
慌てて救急車を呼んだけど、救急車に乗ったら心肺停止、運ばれた病院でそのまま、かえらぬ人となリました😭
亡くなったのは一昨年の2月の話です。
父が逝ってしまうのは、まだ、何年か先だと思っていました。
なんで、あの時、父に文句を言ってしまったんだろう…
なんで、あの時、すぐに父の元に駆けつけてあげなかったんだろう…
なんで、うちに一緒に住もうって言ってあげれなかったんだろう…
なんで、もっと父の話に耳を傾けてあげれなかったんだろう…
母の時、後悔したはずなのに、全然、私成長してない。
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで…
後悔と罪悪感しかありませんでした😭
何故かその時、夫にはその後悔している気持ちを言えず、毅然と振る舞ってしまう自分がいました。
そして、こっそり、スピリチュアルなお仕事をしている知人にそのことを打ち明けました。
愛を持って行動すれば後悔はしないはずだと言われました。
「後悔が残るということであれば、今後、一つ一つ愛を持って行動するように!」
と。
「そのことを父が命を持って教えてくれたことに感謝しましょう!」
と。
ますます落ち込んでしまいました。
私はひどい娘だ!!!
父は生前、趣味で水彩画を描いていました。
上手だとは思っていたけれど、こんなにマジマジとみることはなかったかもしれません。
好きな絵とあまり好きではない絵と…
と好みがあったはずなのに、不思議とどれも素敵な絵にみえてきました。
この絵をたくさんの人にみてもらいたい!
知り合いのおかげで、小さな遺作展もすることができたし、いろんな場所に寄贈することもできました。
罪滅ぼしかのように私は必死になっていました。
きょうだいには、言い出したら止まらないから怖いと思う時があると言われる程に必死になっていました。
はっとしました😳
父ぐらいの絵を描く人はたーくさんいる。
ものすごい絵のように勘違いしている娘。
傍からみたら、私が取り憑かれたように頑張っているだけ💦
「きっと何をしても後悔は消えませんよ。
その時その時、きちんとしていても、もっと違うやり方をすればよかったって、どんな人でも後悔するもんですよ。」
と別のスピリチュアルな仕事をしている人が教えてくれました。
少し心が軽くなりました。
「自分のご自宅で、しかも子供たち2人一緒の時でよかったんじゃないかと個人的には想っていますよ!」
って介護ケアマネージャーさんは言ってくれました。
そうなんです。
コロナ禍で面会できないから、きょうだい2人で見送ろうと準備している時でした。
私には父の声は聞こえません。
でも、きっとこんな風に言ってくれるんじゃないかってそんな気がしています。
「俺のことは気にするな!
自分の目の前にいる家族のことを大切にしろ!」
って。
そういえば、亡くなった日、夢で父は言っていました。
「俺にとって、自分の家が1番。
家に居ることができないのなら、生きてる意味はない。」
そう伝えてくれていたことを忘れていました。
お父さん、ありがとう✨😭
1人メラメラ泣いてしまいました😭
父の義妹さんも、「私も、病院とか施設とかに入りたくない。
子供の家に行くのも嫌だ。
1人になろうと、這ってでも、最後まで自分の家に居たい。
お義兄さんみたいな最後がいいな。」
と言ってくれました。
周りは場所はどこであろうと生きていてるということだけに視点がいきますが、当の本人は、生きている場所や今まで積み上げてきた価値観に視点がいくのかもしれませんね。
ようやく後悔と懺悔の気持ちがなくなった気がしました。
きっと、父は精一杯生きたんですよね😊
つまり何を言いたいかわからなくなってしまいましたが、スピリチュアルなことも、絶対ではありません。
自分自身で気づくことが一番大切かな。。。
と思います❣️
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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あくまで個人的な体験、見解ですが、またご縁がありましたら🧚
一期一会🌏