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「叱る」と「怒る」、「反社会的」と「非社会的」
この両者の違いが分かりますか?もしあなたが教育者や子ども、部下を持つ立場なら一度考えてみても損はしないかもしれません。
「叱る」と「怒る」
叱る
「叱る」は理知的な判断からの行動です。例えば「こけたり曲がり角で人に当たると危ないから廊下は走ってはいけません」のな行動は、安全性や合理性などの観点から下される妥当な注意やアドバイスとでもいえるでしょうか。辞書的には「厳しく注意する」のような説明もありますが、同時に「腹を立てている訳ではないので優しく叱るという表現も可能」(goo辞書)とあります。
この「腹を立てている訳ではない」というのがポイントです。まあ腹は立っているけど叱るというシーンもあるとは思うので絶対に腹を立てていないという訳ではないでしょうが、少なくとも「叱る」の条件に腹を立てているかどうかはないということです。
怒る
「怒る」はもう辞書の説明で十分だと思うので、コピペします。
不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
不満・不快なことに対して感情的に表現しているのが怒るです。ちょっと良くない言い方かもしれませんが、早い話が自分の感情のための行動ということです。
両者の違いは、「誰のための、何のための行動か」という点です。なんかキレ散らかしながら「君のためを思って~!」と言っているパターンだと内容次第かもしれまんせんね。
これは教育学なんかでは、度々引き合いになる単語たちです。私自身も教育実習に行った際、その学校の校長先生に「この違いが分かるか」と聞かれました。好意的に解釈するならば現場にでて何十年という立場からしても重要視すべきだということでしょう。
「反社会的」と「非社会的」
反社会的
「反社会的」と聞くとヤンキーや半グレ、暴力団のようなイメージがありますがその通りです。辞書でも「社会的な規範や道徳から著しく逸脱している様」のような説明なので概ね正しそうです。ここで重要なのは意思を持って、社会的な行動規範から外れているという点です。
非社会的
「非社会的」は「意図せず、社会的行動規範から逸脱してしまう様」のような意味です。ようは悪いことをしようと思っている訳ではないが、やることなすことが所謂悪いことになってしまうということですね。
「非社会的」という言葉はもしかしたら聞いたことが無いかも知れません。実際それほど一般的な単語ではないように思います。しかし、教育現場などではこの「非社会的」は「反社会的」と区別して用いたくなる概念です。
少し面倒臭いかもしれませんが、ここで違いを整理してみます。「反社会的」は「社会的」な行動規範が定まっているとすれば、あえてそこから外れるような行動を取るようなイメージです。「悪いことだからやった」というように、「許されない」ことが行動理由になります。
一方で「非社会的」はやった・やりたい行為がたまたま「社会的」行動規範から逸脱しているというケースです。サイコパスのようなイメージなんでしょうか。
ただ「非社会的」について覚えておきたいのは今現在においては「非社会的」であるということです。
どういう事かというと例えば息を吸うように人殺しをするAさんがいたとして、今では間違いなく「非社会的」ですが、1万年後に人は殺してもよい時代になっていたとすれば、その時代を生きるAさんは「社会的」だということになります。
両者について区別することは、一見無意味に見えるかもしれませんが、取るべき対応が変わります。「反社会的」な人に悪いことだから止めなさいといっても意味がないわけです。それこそがやる理由なのですから。家庭環境や生活環境が原因ならばそこを改善する必要があるでしょう。一方で「非社会的」な人には悪いことだから止めなさいは効果があるかもしれません。こんな違いがありますよの話でした。
まとめ
・怒るは自分の感情のため
・非社会的は悪意によるものではない