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6.列強の二極分化

・1894年 英仏同盟→列強関係流動化
⇒それまではドイツを中心にフランスをハブっていた

3C政策 ⇔ 3B政策(?)

・3B政策とは本当に存在するのか?
⇒かなり怪しい。ドイツの自国内であるベルリンはともかく、バグダート・ビザンティウムは全く支配下になく、3Bによる三角形は希望的観測に過ぎない
・存在したとして、そもそも3Cと3Bはかすりもしない
⇒対抗のしようがない?
・そもそも3B政策とは日本の独自のいわば造語
⇒教科書会社が面白可笑しく3C政策に対抗した3B政策という構図を求めた可能性?
以上から、3C vs 3Bを第一次世界大戦の原因とする当時の教科書の説は不適切?

・1902年 日英同盟
⇒「光栄ある孤立」の終わり
・1904年 英仏協商
・1907年 英露協商
⇒英仏露三国協商

〇ここで列強は、イギリスを中心とする協商国vsドイツを中心とする同盟国
の構図になる

同盟と協商の違い


・防衛のための協力についての軍事的約束→同盟
・相互の勢力圏などを定める政治的約束→協商

軍事や政治を明確に区別することはできないため、一概にそうとは言えない部分は大きいため一応の違い程度に。

まとめ


・3C vs 3Bは怪しい


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