京極夏彦「鵼の碑」を読む
積読、積みゲーしまくりな私。まとまった時間と集中力がないと、なかなか手を着けることができない。そんなだらしない私ですが、「読書会をしよう」という、結城奏さんからの素敵すぎる発案により、ようやく昨年入手した『鵼の碑』に着手することができました!大感謝です!!
昨夜、ひとまず単行本を100ページほど読みました。『蛇(二)』の途中までです。
今のところ、いつもどおりの百鬼夜行シリーズといった感じです。自分的にはまだあまり感想を書ける内容ではないのですが、文体になんとも言えない懐かしさを感じます。
京極夏彦氏は、私が10代後半〜20代前半で最も読んだ作家さんです。
私の好きな小説ベスト3は、『白夜行』『絡新婦の理』『火車』なのですが、最もプロットが素晴らしい…というか、プロットの完成度だけで感動してしまったのが、京極氏の『絡新婦の理』です。
百鬼夜行シリーズの第五段。文庫本は1,408ページの分厚さ。昔バイト先の休憩所でこれを読んでいたら辞書と間違えられたことがある、大好きなのに人に勧めづらい小説のNo.1。
私がどれくらい『絡新婦の理』という作品が好きかと言えば、この凶器サイズのでかくて重たい本を、19歳のときに買ってから本日に至るまで、15回に渡る引っ越しで常に持ち歩いているくらいです。街だけでも、東京、神奈川、大阪、ロンドン、レスター等々、もう何箇所も一緒に移動しています。手放せない名著です。
このように書くと、いかにも京極氏の大ファンみたいですが、実のところはそうでもなく、自分的には当たり外れが大きい作家さんだと思っています。基本的には初期の作品が好きです。
百鬼夜行シリーズは、『姑獲鳥の夏』〜『絡新婦の理』が素晴らしく、この五冊は上記のとおりずっと持ち続けています。昔、紙の本は売って、電子書籍版を購入することを考えたこともあるのですが、電子書籍は分冊電子版しかなかったのでやめました。なんで電子書籍なのにわざわざ分冊版を買わないといけないんだ!と立腹したことを憶えています。
…とか書きながら、今ならもう一冊にまとまったバージョンも売っているのではないかと思ってAmazonを覗いてみたら、なんと合本版が出てました。
これはすごい。(既に書籍版を持っていることを考えると)高いので、次回のポイント還元キャンペーンのときなどに購入を検討したく思います。
閑話休題。上述の五冊は大好きですが、『塗仏の宴』は自分的には「うーん」となった作品。『絡新婦の理』に続く作品なので自分の中の期待値が高すぎたせいなのかもしれませんが、物語のキーとなる要素に肩透かしを食った感があって、あまり好きになれませんでした。
『陰摩羅鬼の瑕』は読んでいて「京極氏もたまには箸休め的な話を書きたくなるよね」と思ってしまったほど、従来作品のような奥行きが感じられず。
『邪魅の雫』に至っては「京極氏もまたには筆が荒れることはあるよね」と自分に言い聞かせながら、なんとか最後まで読み切りました。文章にキレが感じられず、内容も「普通の小説」にしか思えませんでした。
読んでると何となく犯人や動機がわかっちゃうんですよね。もちろん、そういう狙いのもと書かれた作品なのかもしれませんが、百鬼夜行シリーズの特徴とも言える「中盤までは何が起こっているのかよくわからないけど、最後に一気にすべて解明されて収束する」という、解体と再構成を経て生じる、あの独特の快感がまったくないので、期待外れに感じてしまいました。
とはいえ、いずれも私の若かりし頃の感想。今再読したら、また違う意見になるかもしれません。しかし、当時は『塗仏の宴』以降の作品は手元においておく必要なしと判断し、手放したのも事実です。
そんな百鬼夜行シリーズの最新作『鵼の碑』。昨秋より文鎮化していた理由は、その分厚さだけではなく、上述の理由により、読んだらがっかりするんじゃないかという恐怖があったからかもしれません。
しかし、読書会という素晴らしい機会を得て、ようやくページを開くことができました。これから物語がどのように展開していくのか、かつて夢中になった京極氏が織りなす世界に再び没頭することができるのか、期待と不安が入り混じる気持ちです。読み進めながら、私の中の京極作品への評価がどう変化していくのか、それも含めて楽しみたいと思っています。
京極作品との長年の付き合いを振り返ると、作家と読者の関係性の変化や、自分自身の成長も感じられます。これからも、良い意味で裏切られ、驚かされ続けることを願いつつ、『鵼の碑』に浸っていきたいと思います。