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臓器移植のための子供たち "わたしを離さないで"

先日、ディズニープラスで配信されていた『わたしを離さないで』を鑑賞しました。

とても簡易的なあらすじはこちら。

「特別な存在」として生まれ、外界から隔絶された寄宿学校で育った少年と2人の少女。18歳になり3人は外に出て共同生活を始めるも、恋愛がその関係を崩していく。彼らが背負う過酷な運命は、刻々と近づいていた。

Google 「わたしを離さないで」あらすじより

いわゆる臓器移植のために生まれ、育てられる子供たちが自身の生まれてきた意味を知り、自分の人生を考え、存在について考える、そんな映画です。

魂を持つ人間なのか..

臓器移植のための存在である子供たちが、魂を持つ人間であるのか。

この1時間40分に臓器移植のために生まれ育てられた彼らが私たちと同じ魂を持つ存在であることを証明しています。
それは、彼らが映画のさまざまな部分で出してくる感情です。
恋、嫉妬、不安、罪の意識、死への恐怖、後悔、感謝、それら全てが私たちの持つ感情を同じです。
なぜ、私たちが当然のように持つ生の権利が彼らにはないのでしょうか。

倫理観というものは古代からどんどん成長していっていると言えるでしょう。
今、私たちが持っている倫理観は本当に正しいのでしょうか。
それは私たち側から考える倫理観であり、すべての人に寄り添うことはできないのだ、この映画ではそう言われているように感じます。
私たちが長く生きるための権利を得るために、彼らの自由に生きる権利を奪う、そういうことではないでしょうか。

自由を手にするということ、それは誰かの犠牲の上に成り立っている、とても大きい主語にするとするとそうとれるかも知れません。

自分の死を知ること

この映画を見ていて思ったことがあります。
それは、自身の死期を知っていた方が人生を全うできるのか、否かです。

私たちの日常のすぐそばに死は待ち構えています。
それがどのような手段で襲ってくるのかは誰にも分かりません。
しかし、私たちが明日死ぬかもしれないから今日これをしよう、なんて考えて行動することは滅多にありません。
これは私たちが明日がある、と当たり前のように考えているからです。

私たちに本当に明日はあるのでしょうか。

もし、なかったら
私たちは明日やろうと思っていたことができずに無念に死ぬことになります。

しかし、私たちが明日がないと分かっていたら、
私たちは明日やろうなんて考えすら持たないですよね。
自分の死期を知っていたら、やりたいことができずに死ぬなんてこと怒らないんじゃないのかな、なんて考えます。

この映画の子たちはそんな単純な状況ではなかったので、これは本当に余談なんですけどね。

映画の感想をこんなにしっかり他の方に読んで欲しくて書くのは初めてなので、とても拙かったと思いますが読んでくださってありがとうございました。
また、わたしのnoteに来てくださる日をお待ちしております。
ありがとうございました。


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