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持たざる人の方が幸せなのかもしれないと思ったお話。

こんにちは😊

今回は「幸せ」について、考えたことをまとめたいと思います。

先日、旦那さんと色々お話をしていた時に、「山下財宝」のことを知りました。終戦時にフィリピンに埋められたとされる、莫大な埋蔵金のことです。

「まさか〜」「都市伝説じゃない?」と思う私でしたが、彼は「本当だよ!本当にあるよ!」と言っていました。笑

(ご興味のある方は是非調べてみてください!「ゴールデンブッタ」と呼ばれる金の仏像が発見された話や、その仏像は頭が取れるようになっていて、中に金塊が入っていた話など、色々興味深いものがありました。)


そんなふとしたきっかけから、あるYouTube 動画に出会い… 30分後には2人で涙していました。笑
それから、「幸せ」ってお金やモノじゃない、そんな話を2人でしました。(埋蔵金の話はどこへ…笑)

それからというもの、そのYouTube 動画から感じたものが、ずっと私の心にいます。せっかくなので、文章にしてみようと思います。「幸せ」について、ちょっと違った視点を楽しんで頂ければ嬉しいです😊


「幸せ」について考えるきっかけを与えてくれた動画。

夫婦揃って泣いた動画がこちらです。

「山下財宝」と調べて、この動画にたどり着くとは…笑

このチャンネルの概要には、こう書かれていました。

フィリピンの小さな離島シャルガオ島にて、フィリピン人夫と0歳児を育児中のフィリピン離島ママです。
(中略)
最近はクラウドファンディングで集めた資金で、貧困子供への炊き出しの支援を行なっています。


私の旦那さんが泣いた理由と、私が泣いた理由は、別にあります。

旦那さんが感情的になった理由は、自分の幼少期を思い出したからだそうです。

彼はフィリピン系カナダ人です。彼が幼い時に、家族でカナダへ渡りました。血筋はフィリピンですし、タガログ語も話しますが、話し方や考え方はとてもカナディアンです。

この動画の、炊き出しに並ぶ子どもを見ながら、「この子は数十年前のオレだ。」と言っていました。(実際、彼は動画ほどの貧困の島で育ったわけではなく、どちらかというとフィリピンの中ではまだ裕福な地域で育ったと教えてくれました。しかし、当時はフィリピン自体が貧困であったと聞きました。)

「忘れかけていた自分のルーツを、改めて思い出させてくれた。何もなかったし、貧困だったけど、全てが新鮮で、人が暖かくて、幸せだった。」そんな感想を聞かせてくれました。


一方、私は、子どもたちの目や表情にやられました。輝いている目や、ワクワクした表情、そして笑顔。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、「貧困であること」が、子どもたちの輝きをさらに増しているような気までしてしまいました。

「可哀想」なんて気持ちは、正直一切出てきませんでした。私たち日本人から見れば、貧困になるかもしれませんが、彼らにとっては、これが普通なんだろうな、と感じました。

むしろ、「こんな温かいコミュニティ、羨ましい。」「幸せのおすそ分けを、感動のおすそ分けを、ありがとう。」という気持ちになりました。


「幸せ」について、話し合い。

皆さんの「幸せ」は、何でしょうか?
どんな時に「幸せ」を感じますか?
お金やモノを持ってる方が幸せだと思いますか?
それとも、持たない方が幸せだと思いますか? 

この動画を見た後、私は旦那さんと「幸せとは?」について、色々お話をしました。

彼によると、多くのフィリピン人は陽気で、小さなことでもとても感謝するそうです。例えば、今日食べるものがあることに感謝する。雨が降ったら、雨宿りができる屋根があることに感謝する。

また、助け合いの精神も強く、自分がどれだけ貧しくても周りの人とシェアするそうです。(これはキリスト教の影響が大きいそうです。)

彼は例として、フィリピンで暮らしていた時の話を聞かせてくれました。当時のご近所さんのお話です。

そのご近所さんは、フィリピンの中ではかなり裕福でした。母親が医者をしていたからです。父親が子どもの面倒を見るようになっていましたが、アルコール中毒でご飯もろくに用意していなかったそうです。

御飯時になると、そのご近所の子どもは、いつも彼の家の玄関前に居たそうです。彼の両親は、裕福ではありませんでしたが、その子に「お腹減ってるの?食べたかったら入っておいで。」と言って、一緒にご飯を食べるよう、その子を招き入れました。

すると、その子は嬉しそうな顔をして家に入り、一緒にご飯を食べて、帰っていったそうです。

彼の両親は、そのご近所の子の両親に、感謝の言葉や見返りを求める訳ではありませんでした。そうではなく、これを通して「人はこうやって助け合うんだ。」ということを彼に見せて、教えているようだったそうです。

「助け合った方が、みんなで笑えて、幸せになれる。」ということを教えたかったのだと感じました。


子どもの自殺率が高く、幸福度が低い日本。その状況を見ると、複雑な気持ちが湧いてきました。フィリピンの子どもたちは、確かに貧しいです。しかし、話を聞く限り、精神的にはとても潤っている気がしました。

小さなことに感謝できる。
共有や助け合いの精神がある。
人の暖かみを感じれる。

どれだけ物質的に裕福だとしても、これらのことが抜けてしまっては、幸せとは言えないんじゃないのかな… などと考えました。

そして、物質的に裕福であればあるほど、小さなことは当たり前になってしまい、それらに感謝することはできなくなる気がします。

物質的に裕福であればあるほど、「もっともっと」と欲深くなり、人と共有したり助け合うことは少なくなり、人を利用することが多くなる気がします。

人との共有や助け合いがなくなった結果、人の暖かみを感じて、幸せを感じることは難しくなる気がします。

もちろん、物質的に裕福であるに越したことはないと思います。日本で生まれて、日本で育った私は、これまでご飯に困ったことはありません。日本で食べる物に困る人がいることは重々承知ですが、フィリピンと比べればある程度裕福な日本に、そして育ててくれた両親に、本当に感謝しています。

しかし、どれだけ裕福であっても、小さなことに感謝する気持ちや、人と共有すること、そして助け合うこと、人の暖かみを感じて優しくなれる気持ち、それらを決して忘れたくないな、と思いました。


発展途上国の支援について。

私は大学生の頃に、カナダに一年間留学をしました。その留学先で、社会学に興味を持つようになりました。

帰国後、私の専攻は社会学部ではありませんでしたが、社会学部の教科も取るようになりました。その中でも、一番記憶に残っているのが「発展途上国の子供」について勉強したことです。

当時、大学生がボランティアやサークル活動などで、発展途上国に出向き、学校を建てたり、孤児院の手助けをしたりすることがありました。(今でもあるかもしれません。)

チャリティーイベントに誘われて、イベントに参加して寄付したこともあります。

しかし、「実際に参加して発展途上国に行こう」という気には、なぜかなれませんでした。

当時の理由は、「現実を見るのが怖い」でした。こんなある程度裕福な日本でも、自殺したり苦しんだりしている人はいるのに、それが貧困の国となるともっと酷い現実があるのでは… と考えると、怖さが勝ってしまいました。


しかし、「何も知らない」というのも無責任な気がして、「発展途上国の子供」についての教科をとりました。

印象に残っているのは、発展途上国の子どもへの教育についてです。発展途上国では、様々な理由で、学校を建てても辞めてしまう子どもたちが多いことを知りました。

学校を無事に卒業して、読み書きができるようになり、良い仕事に就けるのは、ほんのわずかな人たち。それを知った時は、大きな衝撃を受けました。


その授業の中でも一番心に刺さったのは、「中途半端なボランティアや情けは、無い方がいい。」という言葉でした。何十年、何百年もの持続可能な支援、もしくは現地の人が自立できるような支援でなければ、自己満足だと、キッパリ言われたことを覚えています。

学生ボランティアが良かれと思って、
ある国に学校を建てた。
しかし続かずに、その学校は廃れていった。
今はギャングのアジトになってしまった。
あの場所なんてなければ、
ギャングがこの街に来ることはなかった。
貧困の子どもを見た観光客が「可哀想」と思って、
子どもにお金を渡した。
その子どもは家に帰り、お金を親に渡した。
親は、「この子がいれば稼げる」と勘違いした。
結果、その子どもは観光客にお金をさびるようになり、学校に行く機会を失った。

これらは、衝撃的なエピソードでした。


もし将来、観光などで発展途上国に行く機会があれば、どれだけせがまれても、子どもにお金を渡すのだけは絶対に辞めようと思いました。

貧困の中で暮らす人を「可哀想」と思い、少しの金銭を恵み、「自分は良い人だ」と自己肯定感をあげ、満足げに帰っていく。そんな観光客がいると聞いた時は、正直怒りまでもが込み上げてきました。

恐らく貧困の中で暮らす人からすると、そのような観光客の方が「可哀想」に見えるのだと思います。そんなことでしか、自分を満たすことができないなんて。


この授業を通して、自分は無力で無知だと知りました。

そして、何が本当の支援なのかを、ちゃんと学んで考えて行動しなければ、このようなことになると知りました。

誰かを助けることは、気持ちの良いことです。自分の気分が良くなりますし、悪いことではないと思います。ただ、「相手が本当に必要としていること」にまで辿り着かなければ、自己満足で終わると知りました。

先程の動画をみて、この授業を思い出しました。「持続可能な支援とはこのことか…」と感じました。現地の人として行動する。「自分 vs 貧困の国の人」ではなく、自分も含めて支援する。そんな視点が大切なんだと気付きました。


まとめ。

最後は発展途上国への支援に話が飛んでしまいましたが🙇‍♀️今回は「幸せ」について考えたことをまとめてみました。

物質的に豊かであっても、心が豊かでなければ幸せを感じることは少なくなるんだと思います。歳をとるにつれ、心を豊かにできるように心がけたいな、と思いました。

また、この記事を書きながら、「無知の知」がどれだけ大切なものかを実感しました。自分は無知だと知り、謙虚に自分への教養を身につけたいと思います。その時は、noteでシェアをさせて頂きますね😊

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。


Happiness is a choice, not a result.
Nothing will make you happy
until you choose to be happy.
No person will make you happy
unless you decide to be happy.
Your happiness will not come to you.
It can only come from you.

- Ralph Marston

幸福は選択であって、結果ではありません。
あなたが幸せになることを選択するまでは、
何もあなたを幸せにはできないでしょう。
あなたが幸せになると決めない限り、
誰もあなたを幸せにはできないでしょう。
幸せがあなたのもとにやってくるのではありません。
幸せは、あなた自身からのみやって来るものです。

- ラルフ・マーストン
















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Nala Yukina (奈良幸奈) / Clione (クリオネ)
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