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世界の潮流:SDGsとPlanetary Health、そしてWell-being社会


☆SDGsの個別撃破問題とWedding Cake Model
 SDGs(Sustainable Development Goals)が、2015年にMDGs(Millennium Development Goals)にかわる国連の新たな目標として作られて10年が過ぎ、SDGsの目標2030年がすぐそこに来ている。
MDGsは途上国の発展を目指して大きく達成は出来たものの、気候変動をはじめとする地球全体の問題が浮かび上がってきた。地球の持続可能性が浮かび上がる中、今度は途上国だけでなく先進国も含めて地球トータルとして目指すSDGsが作られた。しかし残念ながら、2030年における世界のSDGsの達成状況は非常に厳しいと言える。
SDGsは17パーツに分かれている。ウエディングケーキモデルで示されるように、生物圏、社会環境圏、経済発展圏の三つに構成されており、そもそも一つ一つだけで意味を成すものではない。日本の企業風潮として、『わが社はSDGsの4番を頑張っています』というような個別撃破での社会的アピールが多いとも聞く。例えば「目標8.働きがいも経済成長も」を目標に掲げる漁業会社が、網の海洋投棄をして「目標14.海の豊かさを守ろう」と全く逆行することを行っていたり、顧客には「目標12.つくる責任 つかう責任」を掲げているサービス提供会社が、いまだに男女格差のある労働環境で「目標5.ジェンダー平等を実現しよう」に矛盾していたりすることはよく耳にする。時には、ある項目に重点を置く対策も大事であるが、相互作用を大切にしてトータルとして、「目標17 パートナーシップで目標を達成しよう」、国や企業をはじめとした全世界の人々がパートナーシップを組むことで、持続可能な社会を作り上げることがSDGsのミッションである。
そのSDGsの個別撃破性と、そもそものミッションを見定めないことで、2030年の達成が危ぶまれているのである。2021年のNatureでは、SDGsの達成について、言説的効果・規範的効果・制度的効果な面から評価するも、多くが限定的であり、言説的な効果にとどまって、それ自体が変革の力になるには至っていないと述べている。

☆Planetary Health の誕生
資本主義の世の中では、なかなか利益を他者のために渡そうとはしない。特に個人レベルではなく、企業レベルでは株価を上げるための株主からの圧力も強く、近年はそれが一層強くなり、企業のミッションが見えづらくなっていると聞く。以前はESG投資という環境に配慮した企業への積極投資が叫ばれたが、昨今はSDGs Wash批判の名の下、投資も減っているという。やはり思いやりでは資本主義グローバル世界は動かないと証明したようなものである。そこで登場したのが、Planetary Health という新しい概念である。
『地球の健康』と直訳になるが、昔叫ばれていた「宇宙船地球号」的な和やかなものではない。医学雑誌で有名なLancet誌とロックフェラー財団が2015年に作った新しい概念である。『人間の健康と地球の健康が独立ではなく、相互依存によって成立しているとの認識をもって人間の政治・経済・社会のあり方を注視しつつ、最上の健康・ウェルビーイングと公正性を実現すること』と定義している。つまり、地球が異常な状態だと、人間のいのちも危ないということである。SDGsで達成出来そうもない全世界の人とのパートナーシップを『経済』という視点ではなく、『いのち』という視点で、地球環境を問い直しているのがPlanetary Health である。もちろん、経済あっての健康という意見の方もいると思う。しかしながら、経済の語源はそもそも経世済民であり、人を救うをことを主眼とおいた活動である。金銭や思いやりでは守れない地球環境を、一人一人のかけがえのない・代替の利かない『いのち』を守ることにミッションに置く。人類が生き抜く、自分が死なない、子供孫が苦しめられないためには、地球環境とのバランスが不可欠なので、そのために地球を守ろう、は分かりやすいテーマだと思う。

☆何を目標に人類は生きるべきか、Well-beingの台頭
 人類は何を求めて生きるのか?その意味では戦後は終わっていないと言われているが、日本は物質的に豊かになることを目指して高度成長をしてきた。そのおかげで今の日本があるわけだが、今の日本人と同じ豊かさを全世界の人が享受するには、地球があと2個必要になる(アメリカはあと6つ)。まさにガンダムのスペースコロニーの話になってしまう。
 よくある話だが、物質的に豊かになることが幸せなのだろうか?もちろんこのフレーズは、物質的に恵まれている日本人だからこそ言えるフレーズに間違いはないが、日本がこの70年間歩んできたこの路線のまま全世界が歩み続けて、ここに到達できることは残念ながらないであろう。ゆえに別の指標を示す必要がある。それがWell-beingである。
 Well-being、直訳すると『良く生きる』。その『良く』とは主観的なものであろうか、それとも物質やGDPと同じ視覚的に、測定可能なものであろうか。その答えの一つがWHO(世界保健機関)が2021年に出したジュネーブ憲章である。WHOはわれわれ医療者にとって、徳川の印籠みたいな存在である。
医療者は、人々と地域の『健康』を目指して医療に当たる、では健康とは何か?WHOが1948年に『健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない』と健康を定義した。その後、健康獲得は「平和である」ことが前提条件であると謳った1986年のオタワ憲章、世界的な健康の達成のために必要な強力な政治的支援と市民の幅広い参画の必要性を宣言した2005年バンコク憲章などと、WHOは全世界が健康になれるには何が必要かを時代・社会の変化とともに提示しつつけていた。そして、気候変動による世界レベルの健康被害が広まる中、WHOは2021年に、地球の健康を破壊することなく、現在および将来の世代のために公平な健康と社会的成果を達成するためには、どのような世界的コミットメントが必要であるかを『Well-beingのためのジュネーブ憲章』明示した。
 この中で、21世紀に世界中の健康を作り出すためには、①.地球とその生態系の価値を尊重し、育み、保護する。②.地球と地域の生態学的な限界内で人間の発展を支える公正な経済を設計する。③.共通の利益のための健康な公共政策を策定する。④.ユニバーサルヘスカバレッジを達成する。⑤.デジタル変革の影響に対処する。と5つの領域で行動が必要であると述べている。地球を保護しつつ、地球の限界内で公正に暮らすこと、これが前提条件である。すなわち、現在の科学技術の下では、全世界の人々が現在の日本人と同等の負荷を地球に与えつつ暮らすことを否定することに近い。

☆Co-Benefit、三方よしの世界
 では、ジュネーブ憲章のWell-being達成のために、日本人は、食べたいものが食べられない、受診や治療を我慢する、趣味を我慢するなどの生活の質を落とす必要があるのだろうか?答えはNo.である。しかしながら、物質的欲望を掻き立てるSNS等に支配されず、他者を思いやった生活を行う必要はある。そこには、我慢すると違う精神状況がある、『足るを知る』ということわざが適当であろう。『足るを知る』ことで、現在のSNSにより他人の物語ばかり見させられ、自分の物語を消費されられている状況から脱して、自分の物語を豊かにできると思う。
 そして、Co-Benefitと言われるアクションをを紹介する。ある行動をとることで、自分も地球もよい結果を与えるということである。例えば、なるべく自家用車に乗らないこと。これはガソリン、または電気を使わない点と、運動することにより健康面が向上するという二つのメリットがある、そして健康になると医療費もかからないので金銭的になおよく、三方良しである。また、赤身肉の消費を減らすことで、気候変動の原因の一つである森林が家畜飼料農地に転用されることを減らせる点と、大腸がんをはじめとする疾患のリスクが減るという二つの面がある、そして穀物の半分が家畜飼料として使われている現状の一方、九人に一人が飢餓に苦しむという食料正義の解決にも役立つ三方良しである。このように、視点を変えた行動を行うだけで、我慢することなく、『自分良し、相手良し、地球良し』三方良しの行動はたくさんある。そのことは、結果的に地球と自分の一体感を醸成して、身体的だけでなく、精神的・社会的にも安定した状態、健康になりやすくなる。よく生きる:自分の物語の中で、結果的に他者と共存しつつ、幸せに生きることが出来るWell-being社会の到来である。物質的欲望で自分の物語を消費させられ続けて、その結果として自らの健康を失うだけでなく、次世代へ負債を回して、さらなる不公正を生む時代ではなく。

写真は、The Lancet Planetary Health誌より借用


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