【読書記録】モモ


高校生の時の夏休みの読書感想文が見つかったので、ここに記録しておこうと思う。

『モモ』を読んで

3年F組 31番 
もしもこの本を読んでいなかったら、私は灰色の男たちのようになっていたかもしれない。怒ることも、喜ぶことも、悲しむこともなく、人も物も愛すことのできない灰色の人間に…。そう考えるとドキッとした。
この物語は、不思議な女の子モモが、灰色の男たちから盗まれた時間を人間に取り戻し、友人や街の人々を救うという話だ。
近頃、1年が早く感じることがある。それは、地球の回転が速くなったわけでも、カレンダーが短くなったわけでもない。私の中の心の時間が減っているのだ。
作者は、機械で計ることのできる時間ではなく、心の時間のことを書きたかったんだと思う。なぜなら、灰色の男たちにだまされて時間を節約し始めた人々は、かえって忙しくなったからだ。この物語に出てくる床屋のフージーさんは、自分の仕事に誇りを持っていて、一人一人のお客さんに心を込めて接していた。ところが、灰色の男に会ってからは、お客さんとのおしゃべりも楽しまず、一時間かかっていた仕事を20分で終わらせるようになったのだ。そして仕事への愛情も忘れてしまった。フージーさんは母親を養老院にあずけ、世話をする時間を減らしたりと、他にもあらゆる時間を節約しましたが、彼の手もとに節約した時間は少しも残らず、ただ毎日が、あっというまに過ぎていったという。
“忙しい”という字は心(りっしんべん)を亡くすと書く、と聞いたことがある。フージーさんはおそらく、心を亡くしていたのだと思う。だから、毎日があっという間に感じたのだ。時計の時間は動いていても、心の時間は止まっていたに違いない。
この本のテーマは心の時間だ。だから、作者は食事をしたり、習い事をしたり、友達と会ったりという生活の為の時間、つまり心の時間を大切にしてほしいという意見なのだ。
私も共感できた。私は部活に入っていた。灰色の男に言わせれば、そんなのは無駄な時間だと言われるかもしれない。確かに勉強しているわけではないし、直接社会に役に立つわけでもないが、私は部活に費やした時間が絶対に無駄ではなかったと言い切れる。たくさんの友人やいい先輩や後輩に出会えたこと、それに初めて一回戦の試合に勝てた喜びや大会の後にみんなで大騒ぎした楽しい時間、他にも色々なものを得ることができた。それは、私の生活を豊かにしてくれていた。心からそう思う。それが心の時間だったのかもしれない。
ペットの世話や家の手伝いや本を読む時間や自分から習った習い事の時間など、人それぞれ心の時間は違うと思う。じゃあ心の時間ってなんだろう?それは心を込めた時間だと私は思う。時間を節約し始めた人々は、仕事も何もかもただこなしていた。だから、楽しくなくなったのだ。
この前テレビを見ていたら、ピアノの調律師の番組をやっていた。その調律師たちは、一音一音に耳を傾け、一台のピアノを作るのにも、ピアニストの要望にこたえ、丁寧に心を込めて仕上げていた。そして、その世界にたった一つのピアノをピアニストが心を込めて演奏し、その音を聞く観客がいる…。そのことを考えた時、なんだかジーンとした。このピアノに関わった人々には、充実した心の時間が流れていたんだと思う。こんなにも仕事に愛情を持って働いているそのピアノ調律師の方を羨ましく感じた。
しかし、最近保育園で幼児が板とベッドの間に首をはさまれ死亡したという事件が起こった。これは忙しいあまりに仕事への愛情を失くし、一人一人の子供を愛情を持って育てることを忘れてしまった為に起きた悲劇かもしれません。仕事をただの商売としてこなしていきたくありません。
多分前に書いたピアノ調律師の方は忙しくても忙しいと感じなかったと思う。なぜなら、心を込めていたから、心を失いさえしなければ忙しくてもいいと私は思う。しかし、暇も大事ではないだろうか、私たちが子供の頃、暇になると自分で遊びを生み出したものだ。ダンボールで家を作ったり、〇〇ごっこと題して空想の世界で遊んだりした。暇は考える力を生み出すと思う。しかし、近頃はテレビゲームなどによって遊びは全く受け身になっている。作者はそんな遊びしかしてない子供は暇はないのに退屈だと感じるようになるという。私は退屈は別にいいと思う。退屈で退屈で仕方のない時があるから楽しくて仕方のない時があると思うからだ。それより自分で考えた遊びをする楽しさを失くす方が勿体ない気がする。だから暇は必要だ。
私の夢は幼稚園の先生になることだ。
この本を読んで、心の時間を大切にし、一人一人の子供に真心を込めて接し、自分で考えれる遊びを教えてあげれる先生を目指そうと思った。私はこの本で将来の“夢”を見つけることができた。

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ここまでが当時の読書感想文の内容です。
確かにと頷けるところもあれば、少し嘘をついていると感じるところ、保育園での事件の話なんかは、実際に保育園で働いている今となってはもっと具体的な別の意見がある。
当たり前だが、本を読んだ感想というのは、自分の経験が増えれば増えるほど変わるものだなと思った。
ちなみに、小さい時から読書は好きだが読書感想文が大の苦手であった。
今ならそれが何故なのか説明できる。

「面白かった」意外に感想が思いつかなかったからだ。
本を読んだあとに、「あー面白かった」で終わらせて欲しいのだ。言葉にできない気持ちの余韻に浸っているのだ。それが終われば次の本を読みたいのだ…。

しかし、毎年読書感想文の時期はやってくる。
高校生にしてやっとまともな感想文を書けるようになった。
これは初めて「A」判定を貰った、記念の感想文だったのである。

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