人間の恢復/活字の味
また厭なことを繰り返してしまった。
端的に言うと、仕事を辞めた。……という表現はいささか上品で、もっと的確に言葉を遣えば、同僚への怒りがぶわっと噴出して、これ以上職場にいられなくなった、と云うのが正しい。
きれちゃった。
はちきれちゃった。
自分の容量も適性もまだまだわからない感じの、なーんだかふらふらと下向いて歩く、これでどうして長い道のりも歩いてきたのに、昔よりは敗戦処理が早くなったことには感心しつつ、自己嫌悪には陥る。
プチ鬱のルーティン。
まず體が動かなくなる。
なにもしたくなくなる。
料理というものがおっくうになり、袋を剥けば食べられるドライフルーツとか、オーブントースターに突っ込めば食べられる冷凍のパンだとかを、布団の上でむしむしと齧る。
酒を飲む。
脳みそをとかす。
(但し安酒は飲まない。今回はクラフトビールとお高めのブランデー)
現実を直視できないので、ゲーム実況の動画を観る。
眠るのが怖いので、睡魔の限界が来たところで電気を消して布団に倒れ込む。
家にこもりきりでろくに運動もしないので眠りも浅く、ぼんやりとした、最低限の生活もおっくうな體になる。
頭だけは動く。
昼が回ってから起き出す。日が暮れてから外に出る。深夜徘徊。鬱気味になると朝早く起きて行動するのが怖い。夜は、私に優しい。
大体こういう時にうろつくのは本屋で、スーパーに入ってる本屋とか、ブックオフに行く。うろうろと、立ち読みから始める。
そう、からだに余裕がないので、今度は脳みそも使い果たそう、という計画。うじうじぐるぐる考える、持て余された脳みそは、仕事を与えてやればいい。疲れ果てるオーバーワーク。……それをするには、家へ持って帰れる本が必要である。それも、軽くない読書ができる本。
ブックオフで買っても良いし、ゲオで漫画を借りてきてもいい。でも、今回は漫画じゃ足りないな、と思って、読んでなくて好きな作家で読み応えのありそうなのを探した。
舞城王太郎『JORGE JOSTER』。ハードカバー、765ページ(本文だけだと)。2012年刊。
『ジョジョの奇妙な冒険』の、……ノベライズ…?ファンの創作……?スピンオフ……?どういうカテゴリが適切なのか、読んだ後もわからないが、舞城の書いたジョジョ、である。
定価は1900円+税。箔押し、しおりひも付き。
2012年はまだ、こんな重くて長くて装丁もしっかりした本を出せてたんだよな、と思いながら読む。
夜中に布団の上で読み始める。
重てえな、と思いながら、ごろんごろんと姿勢を変えつつ、読む。
無理が来たら、本を放り投げ眠る。
起きたらまた、本を掴んで読む。
抗えない眠氣が来るので眠る。
起きたら布団から動かずにまた読む。
……大体何時間かかったんだろう。
『ディスコ探偵水曜日』もそうだったが、おれはタイムスリップとか建物の構造、あるいは平行世界の話……ってのはぜーんぜんわかんないし調べる氣も起きないし正味どうでもいい……と思いつつ、最初から最後まで文章に目を通すことはしたのだった。
いや、面白かったよ。
って、わかってない人間が言ってもいいのかどうか。
でも面白いってことはここでは重要ではなくて、おれは活字に集注したかっただけなんだ。
紙の本を、ただ読む。
読み続ける。
食うことも忘れ、生活も捨て、ただただ、読む。
読む、読む。
自分が何者であるか、思い出す。
……いや、のめり込みすぎて作者に、作品に毒されはするのだが。侵食は、される。影響は受けやすいタイプだ。頭が狂う。
しかし、それ以上に、私は『活字を食う種族』である、ということを思い出す。
血の味を忘れた吸血鬼みたいに。
鉄のにおいに、目を覚ます。
何をのうのうと生きてきたんだろう、と思う。
最近はトマトジュースばっかりだった。
電子書籍。マンガアプリ。インターネットの海の、共感主体の創作物。
いや、それはそれで美味しいと思ってきたんだ。
でも、思い出してしまった。
血の味を。
『私とあなたの血の味は違う』ということを。
血をくれ。
血をインクにして、漫画を描いてくれ。
おれはそういうものを食わないと、ちょっと生きてる氣がしないんだ。
やっぱ紙とインクに溺れねえと、つまんねえわ。
まあ最近は紙とインクさえ劣化してきて、紙はスカスカ、インクはびかびかしてるけど。
ああ、書きてえなあ。
作りてえなあ。
そういえば辞めた日、『次は遠慮なく(こういうあけすけな日記やエッセイのようなものが)書ける仕事にしよう』と思ったんだった。
匿名(?)でも、こう、書くのを遠慮したり、書く頭に切り替わらなかったり、そういう職場ってのがあるんだよな。
……書くことも。
……あるいは、ピアノを弾くことも。
大事なことってえのは、ほんと、難しい……一筋縄ではいかないね。
いいけど。
それでも、書くけど。