理系女と文系男/第13話;怒りの女王
ツケルがシュー君に付きまとうようになってから、私たち文筆部は集まりにくくなった。だけど部の性格上、全員集合しなくても辛うじて成り立った。
もともと文は各々別の場所で書いていたし、必要な連絡はメールなどのやり取りで代用できた。グループLINEが使えれば楽だったろうけど、当時の私がガラケーだったからそれは不可能だった。
気付いたら私たちは高二に進級していた。クラスは四人ともバラバラになった。と言うか文理選択の都合、私がケイたち三人と同じクラスになることはなくなった。
四月は部活としては、中一や高校から入学してきた高一をターゲットに新入部員を募集すべき時期だったけど、文筆部は目立った募集活動をしなかった。
新しく入った子に変な揉め事を抱えていることを知られて、それが広まったらダメージがより大きくなる。そう判断したからだ。
そんな理由で部員は増えず、この年度も発足メンバー四人でスタートすることになった。
だけど部として全く進展が無かった訳ではなく、取り敢えず9月の文化祭で機関誌を出すことは確定し、機関誌の名前も【加他真理|】に決まった。
私たちを悩ませていたツケルは、高二になってもシュー君への付きまとい行為を続けていたらしい。私はシュー君と話す機会が減ったから、そういう話は人伝に聞くだけだった。
そんな高二の4月のある日だった。その日の放課後、私とタケ君は顧問の先生と話に職員室に向かっていた。理由は確か、事務連絡だったと思う。
どうして理由を忘れているかと言うと、その道筋に事が起きたからだ。
「ちょっとごめん。やっぱトイレ行かせて」
職員室に向かう途中、タケ君がトイレに入った。私は廊下で、タケ君が出るのを待った。
ところで彼が入ったトイレは、立地の都合か利用者が少なかった。あんまり多くの人が出入りしている印象の薄かったトイレだったけど、この時は珍しく、タケ君に続いてもう一人トイレに入った人がいた。
(えっ!? ツケル…!)
それはツケルだった。何処からか速足で歩いて来た彼は、トイレの前でタケ君を待つ私を睨みつけてから、このトイレに入った。肩で風を切りながら。
私は不穏な空気を感じた。そして…この嫌な予感は的中した。
「お前のせいだ! お前のせいで、村西は俺を嫌うようになった!!」
「やめろ…! ふけざけんな!」
トイレの中から怒声が聞こえてきた。明らかにタケ君とツケルがやり合っていた。
さすがに私でも男子トイレに突入する度胸は無かった。
(どうしよう? 誰か男の子か男の先生はいない?)
私は困惑しつつ、通りすがりの男子生徒か男性教諭に助けを求めようと思ったけど、どういう訳かこの時は誰も来なかった。
多分、事は1分も続かなかったんだと思う。気分的には、10分くらいに感じられたけど。
暫くしたら、ツケルがトイレから出てきた。ツケルはトイレの前で立ち尽くしていた私を睨みつけ、舌打ちをしてからこの場を後にした。
私はツケルを追ったり、トイレの中で何をしたのか問い詰めたりする気は無かった。タケ君が何をされたのか、そればっかりが気になっていた。
程なくして、タケ君もトイレから出てきた。ぱっと見、外傷は無さそうだった。私はすぐ、タケ君に寄り添った。
「なんか凄い声が聞こえてきたけど…。ツケルに何かされたの?」
開口一番、そう訊ねてきた私を安心させるかのように、タケ君は笑ってみせた。
「殴られたけど、まあ心配しないで。シッコしてるところを襲われたから、やられっ放しになったけど…。ズボンにシッコついちまったな…。漏らしたみたいで恥ずかしいな」
中で起きたことは、私が危惧していたことと大差無かったようだ。
文筆部の中で、タケ君は最も温厚だった。だから部長も任されていた。そんな彼だから、ツケルの奇襲も笑って済まそうとしたいたけど…。
要領の良さで副部長を務めていた私に、彼のような度量の広さは無かった。
不本意にも尿で濡れてしまったタケ君の制服のズボンを見て、男子トイレの中で起きていたことを想像すると、猛烈な怒りが沸いて来た。
(ツケル、もう絶対に許さん!)
私は決意した。阿戸尾ツケルという男を、葬ってやると。
その後、思わぬ災難に見舞われたタケ君は一度教室に戻り、ズボンを体操服のジャージに替えた。それから私たちは再び、顧問の先生を訪ねて職員室に向かった。
目的通り、顧問の先生に会えた。当然の流れで、顧問の先生がタケ君の服装にツッコんだ。
「お前、下どうした? おかしいだろ」
上が制服のブレザーとカッターシャツで、下が体操服のジャージというタケ君の恰好は滑稽だったので、顧問の先生は笑っていた。
タケ君は「恥ずかしい話ですけど…」と切り出し、おそらく自分の不手際にしようとしていたけど、それより先に私が言葉を発した。
「ツケルに襲われたんです。トイレでおしっこをしていたら、後ろからツケルに殴られたんです」
私の言葉を聞いたら、顧問の先生の表情は急変した。凍り付いたと言うか、震撼したと言うか。多分この時、私は明白な怒りを顔に表していたのだろう。
「あいつ、警察に突き出してやりたいんですけど」
私の思考は過激になっていた。
タケ君がツケルにトイレで襲われたことを私が告白したら、そのまま私たちは事情聴取を受けることとなった。場所は、顧問の先生と最初に顔を合わせた小さな応接室だ。
生徒は私とタケ君。教師は文筆部の顧問の先生の他、演劇部の顧問のチクリン先生と、我らがピー先生が立ち会った。
チクリン先生はこの時のツケルのクラスの担任、ピー先生はこの時のシュー君のクラスの担任だったから、必然的に二人はツケル問題の担当みたいになっていた。
まずタケ君がされたことを説明した。先生方はそれを紙にメモっていた。
私にも話は振られたけど、トイレの外で待っていただけだから、あんまり話せることはなかった。だけど、言いたいことは凄くあった。
「ツケル、退学とかにできないんですか? シュー君の家までついて来たとか、タケ君に襲い掛かったとか…。もう立派な犯罪行為じゃないですか。少年院にでも入って欲しいんですけど」
私は率直に思っていることを言った。顧問の先生とチクリン先生は、困った顔をしていた。
悩んで唸りながら、チクリン先生が私の愚痴に答えた。
「マリの気持ちは解るよ。文筆部の和も乱されるわ、部員も危害を加えられるわ。腹が立つに決まってるけど…。だけどさ、警察沙汰にはしたくないんだよ。ウチの学校もそこそこ名が通ってるから、そんな話になったら新聞とかが飛び付いてくるじゃん。そういう事態だけは避けたいんだよね」
去年の9月まで演劇部で交流があったよしみでチクリン先生は私を宥めるのかと思ってたけど、先生の発言はその想像を絶するものだった。
(何を言ってるの? もう被害が出てるのに、学校の世間体の方を優先するの?)
驚く私に、チクリン先生はそのまま話し続けた。
「ツケル君は話を聞いてくれないんだ。“村西が俺を避けてる!”の一点張りで。彼にはもう、言葉が通じない。だけど、マリたちは違うだろ。僕らの言ってることがわかるだろ? だからここは大人になって、グッと堪えて欲しい」
要するに、大事にしたくないし、ツケルを抑制することもできないから、私たちに泣き寝入りしてくれと。チクリン先生はそう言った。
ここまで正直だと、却って清々しい。さすがに演劇部で三年半の付き合いがあっただけのことはあって、チクリン先生は私の性格を理解していた。私は思わず笑ってしまった。だけど、これで引き下がろうとは思わなかった。
「確かにツケルに言葉は通じないかもしれませんけど…。だからって、私たちに耐えろって、酷くないですか? ツケルのやりたい放題じゃないですか? こんだけメチャクチャやって、何もお咎め無しですか? だったら私も、ツケルと同じことしますよ!」
私は気持ちが高揚してきて、喋りながら立ち上がった。チクリン先生はそんな私に少し引いて、文筆部の顧問の先生も対応に困っていた。
するとここで、ピー先生が動いた。
「キンキン声で騒ぐな、バカ女」
ピー先生は私を睨みながらそう言うと、私に対抗するように立ち上がった。
実はピー先生は小柄で私より少し背が低かったけど、この人の眼光は強烈で、睨まれると私も簡単におとなしくなった。
視線で私を黙らせたピー先生は、その雰囲気を保ったまま私に言った。
「自分の思い通りにならないとキレ散らかす…。お姫様気分も大概にしろ。何でもお前の思い通りになる訳じゃねえ。俺らだって、してやりたくても無理なことはある」
ピー先生の口調は静かだった。正直、先生の話している内容を、当時の私は深く理解していなかった。だけど反論できなかった。
私は口を噤み、下唇を噛み締めた。ピー先生は私に座るよう促した。
「阿戸尾が須崎を殴った件については、阿戸尾からも話を聞く。この話を職員会議に上げるとか、阿戸尾の親に話すとかは、その後で俺らが判断する」
ピー先生がそう説明して、この事情聴取は終わった。
今更だけど、須崎とはタケ君の名字である。
この終わり方に、私は決して納得していなかった。応接室から出た後、タケ君と歩きながら私はずっと文句を言っていた。
「チクリンは最悪。新聞に載るのは避けたいとか、ツケルは聞く耳が無いから君たちが我慢してとか。事なかれ主義全開じゃん」
いきり立つ私に、タケ君は笑いながら言った。
「まりかは学校の先生にはなれんね。まあ、それは別として…」
何か含みを持たせつつ、タケ君は言った。
「ツケルが俺の方を狙ったのが、せめてもの救いだと思ってる。あの時、まりかは廊下で一人だったから、まりかがやられてた可能性も十分にあったからさ」
タケ君の言う通り、ツケルが私に襲い掛かる可能性も十分にあったけど…。でも、私じゃなくてタケ君がやられたのがせめてもの救いって、どういうこと?
この時、私は本当に理解していなかった。男という生き物の恐ろしさを…。