理系女と文系男/第15話;屈辱の惨敗
一学期の中間テストを二週間後に控えたある日、帰りのバスで私はツケルと一緒になった。ツケルの横には、このバスを利用していないサセコもいた。
どういう訳か、ツケルは本来のバス停で降りなかった。
そして私はバスを降りる寸前、痴漢に遭った。その時、後ろからツケルと思しき、厭らしい笑い声を聞いた。
怒りに打ち震えながらバスを降りた私を待ち受けていたのは、何故かこのバス停までバスに乗ってきたツケルとサセコだった。
バスを降りるや、私はすかさずツケルとサセコに啖呵を切った。
「ねえ? 私のお尻触ったの誰? いい加減にしてくれる?」
私は全身に怒気をまとってツケルに迫ったのだけど、対するツケルは全く動じていなかった。
「は? 触られたのか? そりゃ災難だったなぁ」
ツケルは余裕を漂わせていて、詰め寄って来た私のブレザーの襟を、カウンター気味に右手一本掴んできた。引き付ける力はかなり強かった。私は腰が浮くような感覚を覚え、強制的に爪先立ちのような格好にさせられた。思わず持っていた通学鞄も落としてしまった。
私は両手でツケルの右腕を掴んで抵抗しようとしたけど…。ここで決して越えられない、筋力という壁を痛感させられた。
(強い…! ビクともしないんだけど!!)
私は両手で抵抗したけれども、ツケルの右腕は全く動じなかった。まるで、頑丈に組まれた鉄骨みたいだった。
無駄に足掻く私に、ツケルは言ってきた。
「お前のせいで、俺は変態呼ばわりされるようになった。どう落とし前つけてくれる気だ?」
意味不明な発言だった。と言うか、「お前のせいで」って何?
更に勢いを増した怒りの炎は、私に忘れさせた。今まさに体感しているハズの筋力の壁を。
「私のせいじゃなくて、自分のせいでしょ!? 人の家までついて行って、ずっと家の周りウロついてた人は、誰がどう考えても変態だと思いますけど!」
怒りは私にそう言わせた。この言葉によって、ツケルがどんな行動に出るのか、私に考えさせる暇すら与えずに。
「んだと、クソビッチ。変態はお前の方だろ。西野の祖母ちゃんの家で、あいつらとヤリまくってたんだろうが? 村西ともやったんだろ?」
ツケルは私の襟を掴んだまま、例の噂で私を罵った。当然、私の怒りは増大する。
「やってないから! あんたの想像だから! って言うか、ストーカーと痴漢やったあんたに、想像だけで変態呼ばわりされる筋合いないんだけど!」
取り敢えず、私は言い返さなきゃ気が済まなかった。だから、思ったことをそのまま言った。
本当に私はツケル…というかヤバい男を理解していなかった。
こいつはケイたちとは違う。言葉の通じない、ヤバい生き物だということを。
(は? 何すんの、こいつ?)
私が言い返した直後だった。ツケルは不意に私の襟を掴む手を離したと思ったら、そのままその手を私の胸に伸ばしてきた。私はツケルに、左の乳を触られてしまった。
「痛っ…!!」
多分ツケルとしては、揉んだくらいのつもりだったんだと思う。だけど私からすれば、握られたという感覚で、もの凄い激痛だった。
私は堪らずその場に蹲った。痛む左の乳は両手で摩ってないと耐えられなかった。
(何こいつ…? 私、次は何されるの?)
臀部を触られた時は不快感を覚えたけど、今度は痛みのせいで恐怖心が生じてきた。
そしてどういう流れか脳は私に、高一の時に宗教勧誘の人に声を掛けられ、ケイに助けられた時のことを思い出させてきた。
(ツケルはあの宗教の人よりずっとヤバい! 何、この状況!? ケイはどうして近くにいないの!?)
私は何処までも残念な奴で、この時になって初めて痛感した。ケイがどれだけありがたい存在なのか。自分がどれだけ弱い存在だったのかを。
私がそんなことを思っている間、ツケルは何か言ってたけど聞き取れなかった。多分、何か悪口言ってるんだろうな、くらいしかわからなかった。
「はいはーい。そこまでにしよう。これ以上は駄目だから」
サセコの声が聞こえた。ツケルの近くに駆け寄ってきたみたいだ。私は音でそれを察知した。
サセコの立ち位置がよく解らなかったけど、どうやらツケルを説得してるようだった。
「とにかくリカを傷物にすんな。後は私で我慢しろ。ヤラせてあげるから」
サセコが低めの声でそう言ったのだけは聞き取れた。
このやり取りを最後に、ツケルはこの場から立ち去った。順当に考えると、自宅の方に向かうバスが来るバス停に向かったんだろう。
「リカ、しっかりして。もう大丈夫だから」
サセコが私を介抱するように寄り添ってきた。私はようやく顔を上げた。
「何なの、これは? あんた、ツケルとどういう関係なの?」
私はこれを聞かずにはいられなかった。問われたサセコは唇を真一文字にして、何だか言い辛そうな雰囲気を醸し出していた。
「話すと長くなるから、ちょっと場所を変えようか」
サセコの提案で、私たちは最寄りのコンビニのイートインに移動することになった。
コンビニに着いたら、サセコは私をイートインの椅子に座らせ、その間に自分は適当なお菓子を買っていた。
待っている間、私はずっと左の乳を右手で庇っていた。まだ違和感が残っていたから、こうしていないと耐えられなかった。
3分くらいで、サセコはチョコと飴を持って私の隣にやってきた。
「ここは慰謝料ってことで、お代は私持ちにするから。まあ機嫌、直してよね」
サセコはそう言った。慰謝料という言葉が私は気になった。
「慰謝料ってどういうこと? まさか、あんたの指金だったの?」
私はそう思ってしまった。するとすぐ、サセコは首を横に振った。
「いやいや。私はリカが心配だから、あいつに付いて来たんだよ。ツケルの奴、リカをヤリたいとか言い出したから」
サセコは買ったばかりの菓子を開封しながら、事の経緯を説明し始めた。
タケ君をトイレで殴った件について、ツケルは先生からお叱りを受けたのだが、それは私のせいだと逆恨みするようになったらしい。
そしてサセコに金を渡して、こんな要求をしたそうだ。
「まりかの着替え写真を撮って来い。スカートが捲れる写真でもいい」
ツケルは私の恥ずかしい写真を入手して、それをSNSで拡散させるつもりだったらしい。
ついでに聞いたけど、ツケルはサセコ以外にも何人かに金を渡して、シュー君の情報収集をさせたり、文筆部の悪評をSNSに流させたりしていたらしい。
因みにサセコは、私の写真を撒く作戦には反対したそうだ。
「写真は証拠が残るから止めとけ。後々あんたが不利になるよ」
だけど、ツケルは何かしら私に危害を加えなければ気が済まなかったそうだ。
そしてサセコと相談した結果、痴漢という方向で落ち着いたとの話だった。
この話を聞いて私は思った。
「写真は証拠が残るから止めろ、痴漢にしとけって。あんた完全にツケルの味方じゃん」
この時、私はサセコを殴りたいくらい腹が立っていた。しかし目の前の金髪女は、私の感情を逆撫でするかのようにケラケラ笑って、自分で買ったチョコを食べながら言った。
「いやいや。私は事態を丸く収めたんだよ。リカのダメージを最小限に抑えて、ツケルを満足させるには、これが一番安全だと」
サセコが言ってることは理解できなかった。痴漢されたのに、ダメージが最小限って…。
一瞬、サセコに怒鳴りたくなったけど、思い返せばサセコはツケルを諫めていた。そう考えると、サセコに怒りを叩きつけるのは違うと思った。
「まあ、何でもいいや。取り敢えず痴漢の件は先生に言ってやる」
こうすれば、ツケルに制裁を加えられるだろう。私はそう思って呟いた。するとサセコは、買ったチョコを私の口に運んできた。
「言っても無駄だよ。あんた、私と同じでスカート切っちゃったからね。切っちゃった組は痴漢されても、 “ あんたが短くしたからでしょ ” で突き返されるって、知ってるでしょ」
サセコは私の口にチョコを入れた後、その手で私のスカートの裾を引っ張った。私はスカートが捲れないよう、咄嗟に左手でスカートを押さえた。
右手で乳を庇って、左手でスカートを押さえる。そんな私の様をサセコは笑っていた。
「マジな話、これは言わない方がいい。シュー君のことを考えなよ。タケ君が殴られて、今度はリカが痴漢されたって知ったらさ、彼はどう思う? 自分がツケルに目を付けられたせいで、二人を巻き込んじゃったんだよ?」
続け様にサセコはそう言った。
私にとって、かなり痛い点を突いてきた。悔しいけど、サセコの言ってることは的確だった。
そしてトドメのように、サセコはこんなことも言った。
「それから演劇部の連中の反応も怖いね。リカがこんな目に遭ったのは、文筆部に引き抜かれたからじゃん。リカを取られた上に、そのリカが危険な目に遭ったと知ったら、演劇部の連中はどう動くのかな? シュー君たちの敵が増えちゃうね」
これもまた的確だった。私は何も言い返せなかった。
(つまり、黙ってた方が良いってこと? 言ったら皆に迷惑を掛けるってこと?)
悔しいけど、私は屈するしかないみたいだった。
サセコは「機嫌を直して」と笑いながら、また私の口にチョコを運んできた。
コンビニにいる間、私はずっと右手で左の乳を庇っていた。ツケルに揉まれた違和感がいつまでも厭らしく残っていて、なかなか手を放せなかった。
私の惨敗だった。
物理的な力でツケルに全く抵抗できず、一方的に辱められた。
策略面でもサセコに一泡食わされて、完全に口を封じられた。
自分は可愛くて頭が良いと思ってたけど、実は凄く弱い存在だった。
自分一人では何もできなかった。
かなり屈辱的だった。
家に帰った後、私は自分の部屋で一人泣いた。