理系女と文系男/第12話;悪しき入部希望者
文筆部のミーティングが学内ではなく、ケイのお祖母さんの家や塾の談話室などで行われるようになってから、二か月が経過しようとしていた高一の二月下旬、学年末試験の一週間前のことだった。
ある朝、私は廊下を歩いていると、別のクラスの女の子に声を掛けられた。
「まりかちゃん、おはよう! 塾のパンフレット見た? 私らの写真、載ってるよ!」
その子は私に駆け寄って来て、私とケイが通っている塾の来年度用のパンフレットを見せてきた。彼女もまた、私とケイと同じ塾に通っている。
「おはよう、ミキちゃん。ああ、そう言えば撮影に応じたね」
私はその子、ミキちゃんに言われて思い出した。
塾で事務員に「来年度のパンフレットの写真撮影に協力してもらえないと」と言われたことを。事務員は謝礼として図書券500円分を渡すとも言ったので、私とミキちゃんは金欲しさに写真撮影に応じた。
その写真を載せたパンフレットがついにできたということだ。
「てっきり忘れてたわ。どんな感じなの?」
素っ気ない対応の私に、ミキちゃんはパンフレットを開いて私たちの写真が載っているページを示してきた。
その写真を見たら、私は思わず苦笑いしてしまった。
「やっぱり胡散臭いね…」
私がそう言う程度には、胡散臭い写真だった。
具体的な構図は、私と他の高校の男子が並んで椅子に座り、ミキちゃんを含む四人の子がそれを囲んでいるというもの。私と男子の間には適当な参考書が置かれていた。
設定的には、仲良しグループが談笑してるという感じなのだけど…。
不自然な笑顔を浮かべた六人の視線が机に置かれた参考書に集中していて、なんか滑稽だった。
この他には、私が単独で塾の先生に質問しているような写真があった。こちらはそこまで変ではなかった。
「SNS見ると、まりかちゃんが可愛いって書いてる人、やっぱりいたね」
ミキちゃんはブレザーのポケットからスマホを出し、そのSNSの投稿を見せてきた。
この頃、既にいろいろなSNSがあったけど、普及率は今より低かった気がする。当時の私も、SNSは何もやっていなかった。
だけど、インターネット上で何かしら噂がすぐ広まるという体勢は、既に整っていた。
(暇な人もいたモンだね。私の顔が気に入ったからって、わざわざインターネットに塾のパンフレットの写真上げてどうすんの?)
私は可愛いと言われ慣れていたので、ミキちゃんが振ってきた話題を「ふーん」と聞き流した。
ところで話題提供者のミキちゃんは、ふと何かを思い出したのか急に表情を曇らせた。
「ところで、まりかちゃん。SNSと言えば、なんか変なこと書かれてるみたいだけど…まりかちゃんの新しい部活」
それを聞くと、私の表情もミキちゃんと同様に曇ってしまった。
「まあ、見なきゃどうってことないから…。好きに書いてろって感じだけど…」
私は下唇を噛みながら呟いた。私はSNSをやっていなかったけど、変な噂が流されていることは知っていた。
文筆部がケイのお祖母さんの家でミーティングをやっていることに対して、『文筆部は不純異性交遊をしている』などとSNSに書いた奴がいたのだ。
男子三人と女子一人が同じ民家で集会を開いていたら、そんな想像をする奴もいるだろう。だけど、私たちは学外のミーティングに関して顧問から許可をもらっていたし、何より厭らしいことはしていない。
まあ、テレビゲームに興じてしまったことはあったし、テレビを観てしまったこともあったけど…流されている噂のようなことはしていない。
私たち文筆部としては、「勝手に言ってろ」という気持ちで噂を無視していたけど、ミキちゃんのように心配している子もいた。
「余計なお世話かもしれないけど…。まりかちゃん、演劇部を続けてた方が良かったんじゃない? 変な子に振り回された挙句に、変な噂まで流されるなんて、あんまりだよ…」
本気で心配してくれるミキちゃんの言葉に、私は顔を顰めて唸るしかできなかった。
そもそも、どうして文筆部はケイのお祖母さんの家など学外でミーティングをするようになったのか?
その理由はミキちゃんが少し言っていた通り、変な子に振り回されていたからだ。
事は十一月まで遡る。
ある日、一人の男子生徒が部長のタケ君に入部希望を申し出てきた。
その生徒の名は阿戸尾ツケル。私たちの同級生だ。
文筆部メンバーの中ではシュー君と少し交流があるくらいで、私を含む他三人とはあんまり喋ったことがない。そんな子だった。
だけど、特に入部を断る理由は無い。タケ君は二つ返事でこれを受け入れた。
入部希望者が現れた旨を、タケ君はすぐ携帯メールで私たち全員に伝えた。そして一週間以内に、入部希望者のツケルと私たち四人が顔を合わせることになった。
いつものように私たちは先生に許可をもらって、空いている教室で会を開いた。ツケルが自己紹介して、文筆部の活動内容をツケルに伝えるのが会の主な目的のハズだったけど…。
ちょっと想像もし得なかった事態になった。
「俺がこの部に入ったのは、村西にまた仲良くして欲しいからだ。村西、どうしてお前は俺を見捨てたんだ!」
タケ君から自己紹介を促されたツケルは、いきなり意味の解らない演説を始めた。
因みに村西とは、シュー君の名字である。
「見捨てた? 何のことだ?」
当のシュー君は意味が解らなかったらしく、首を傾げていた。
するとツケルは怒りを露わにして、シュー君に詰め寄った。
「とぼけるな! 俺のことをさんざん無視しやがって!」
ツケルの発言は長い上に意味不明だったので、翻訳と要約をする。
ツケルのクラスはシュー君とは別だった。だけど友人関係は継続していた。
そのハズなのに、ツケルがシュー君と話す為に彼のクラスに赴くと、ことごとくシュー君は不在。
放課後、携帯に架電しても絶対に出ない。メールを送っても、返信は必ず一時間以上後。たまに返信すらしない。
ツケルはシュー君を友人だと思っていたのに、裏切られた。そう主張していた。
これに対して、シュー君はすぐに反論した。
「毎回、教室に俺がいないって…。お前が俺のいない時にばっか来てただけだろ。電話は、電車乗っている時とか風呂入っている時とかに架かってくることが多くて、出られないだけ。メールだって同じ。変な言い掛かり付けんなよ」
私たちもケイもタケ君も実態は知らないけど、シュー君の言ってることの方が信用できた。
(きっとシュー君の言ってる通り、偶然が重なってるだけだよね。別に無視してる訳じゃないような…)
私たちはそう思っていたけど、当のツケルはそう思っていなかった。
「見え透いたウソを吐くな! お前は俺を避けてるんだ! 俺はこんなにお前が好きなのに、どうしてお前は俺を嫌うんだ!!」
ツケルはそう言って、シュー君に掴み掛かろうとした。だけど、すぐにケイとタケ君が二人の間に入って、ツケルをシュー君に近付けなかった。
「邪魔すんな! これは俺とあいつの問題なんだ!」
相変わらずツケルは意味不明な主張を続ける。そんなツケルに、ケイが怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ! 入部希望じゃなかったのか!? シューに文句を言いたいだけで、参加する気が無いなら出て行け!」
ケイの言っていることはまともだったけど、ツケルに聞く気は無かった。
「いいや、俺は文筆部に入りたい! そうでもしなきゃ、村西は俺と会ってくれない!」
ツケルはずっとそんな調子で、今にも暴れ出しそうな雰囲気すら見せていた。
ケイとタケ君はそれを警戒して身構えていた。シュー君もそんな感じだ。
そしてツケルが暴れた場合、体力的に戦力外になる私は、この役割を引き受けることにした。
「とにかく先生を呼んで来るね。それまで持ち堪えて」
私はシュー君にそう耳打ちして、この教室を飛び出して職員室に向かった。
本来なら顧問の先生を頼るべきだったけど、一触即発の事態だったから先生を選んでいる余裕は無かった。
だから、職員室の前で最初に出会った先生に、とにかく声を掛けた。
「先生、助けてください。変な子が言い掛かりつけて来て、部活どころじゃなくなってるんです。暴力沙汰になるかもしれません」
職員室まで走ってきた私は、息を切らせながら先生に懇願した。
その先生は、奇しくもピー先生だった。
私がピー先生を連れて教室に戻ってきた時、ツケルはまだ騒いでいた。それに対抗して、ケイとタケ君とシュー君も声を荒げていた。
要するに男子四人で言い争っていた。殴り合いになっていなかったのが、不幸中の幸いだった。
「お前ら、うるせえ。何をギャーギャー言い合ってるんだ?」
ピー先生が教室に入って来ると、騒いでいたツケルは急におとなしくなった。ツケルがおとしなくなると、ケイたち三人も怒鳴り返す必要がなくなって静まる。
ピー先生は怖がられていたから、喧嘩を止めるには最適な人選だった。
取り敢えず、この場はこれで凌げた。
文筆部にツケルを迎え入れることはできない。私たち四人の見解は同じだった。
顧問の先生も後で話を聞き、「そんな調子だと…」と難色を示していた。
だけどツケルはその後、何度も文筆部のミーティングに現れた。
「村西! なんで俺がこんなにお前を好きなのに、お前は俺を避けるんだ!」
毎回、こんな感じでシュー君に絡んで来て、場を混乱させていた。
こんな調子じゃ、とても活動ができない。学校で集まったら、ツケルが現れて妨害される。
困った挙句、ケイがこんな案を出した。
「ミーティングは俺の祖母ちゃんの家でやろう。さすがのツケルも、そこまでは押し掛けて来ないだろう」
そう。ケイのお祖母さんの家でミーティングを開いたのは苦肉の策だったのだ。
決して、ゲームに興じる為ではない。
だけど、それで諦めてくれる程、ツケルは甘くなかった。
一月の下旬、私は塾帰りにケイと夕飯を食べに行く時、ケイから恐ろしい話を聞いた。
「ツケルの奴、昨日シューの家までついて来たらしい」
ケイは無表情でそう言った。聞いた私は思わず息を呑んだ。
「家までついて来たって…。どういうこと?」
驚く私に、無表情のままケイは語った。
放課後、帰路に就いたシュー君の後を、ツケルが尾行してきたらしい。シュー君はそれに気付いて「ついて来るな」と言ったみたいだけど、ツケルは言い返してきたらしい。
「たまたま歩いている方向が同じなだけだ」
この調子でツケルはシュー君と同じ駅に行き、同じ電車に乗り、同じ駅で降り、そこから同じ道を歩き…。さすがに家の中には入らなかったけど、ずっと家の周りをうろついていたらしい。
シュー君は思い詰めた表情で、ケイにそれを語ったらしい。
「ヤバすぎじゃん。もう警察に相談した方がいいレベルだよ」
話を聞いてドン引きしていた私は、自然とそう言っていた。ケイは「確かに」と頷く。
「もう文筆部がどうって状態じゃなくなって来てるよな。ツケルが次に何をしでかすのか、知れたもんじゃない。もしかしたら、祖母ちゃんの家に集まるのも控えた方がいいのかもしれない」
顔を顰めながら呟くケイからは、はっきりと悔しさが滲み出ていた。隣の私は、この状況で自分に何ができるのか、思いつきもしなかった。
まさか、こんな文筆部がこんな災難に見舞われるなんて、思ってもみなかった。
だけど、これはまだ序章に過ぎなかった。
文筆部は…私たちの青春は、阿戸尾ツケルというたった一人の人物によって、これから更に荒らされていくのだった。