社員戦隊ホウセキ V/第126話;一方は繁盛。他方は閑散。
前回
苛怨戦士は引手リゾートが億田間に作った新しいホテルを襲撃する。
そう予想したホウセキVは六月五日の土曜日、引手リゾートが新たにオープンした億田間のホテルに向かった。
ホテルに着いたのは午後一時前。
男女二人ずつという構成を生かし、カップルに扮してホテルに潜入しようと時雨が提案したが、伊禰がこれを拒否。結果、男性陣がホテルで潜伏し、女性陣がホテル付近に潜伏するという役割分担になった。
時雨の陰謀を打ち砕いた伊禰だが、ドサクサに紛れた誘いを断った理由は時雨が気にしているものとは本当に違った。
時雨と和都がホテル前の列に並んでいた頃、伊禰は光里と共に曲がりくねった山道を登り、ホテルから少し離れた場所にあるお土産屋や飲食店の集う場所を目指していた。
「お姐さん。私のこと気にして、この組み合わせにしてくれたんですよね? 本当に迷惑しましちゃ」
坂道を上る途中、光里が前を進む伊禰にそう言った。すると伊禰は後ろを振り返り、優し気な笑みを見せる。
「礼には及びませんわ。私も貴方の表情を見ていないと、気が気でなりませんから。それに時雨君はともかくワット君は気が遣えませんから、これが一番安全ですわよね」
十縷が連れ去られて敵になろうとしている今、最も精神的に危うくなっているのは光里だろう。伊禰が最も気にしていたのは、この点だった。
もし光里と和都を一緒にしたら、和都は得意の悲観的な発言で光里の精神を更に搔き乱しかねない。時雨には上手く宥める話術があるが、特有の威圧感で光里を常に緊張させかねない。だから、自分が光里と一緒に居る。
というのが伊禰の考えで、光里はそれを察していた。
「取り敢えず、お昼に致しましょう。美味しそうな店を選びたいところですが、ニクシムが出たらすぐ行かなければいけませんからね。なるべく空いているお店を…」
喋っているうちに坂を登りきった二人。
店が立ち並ぶこの場所は、休日の観光客で賑わっていた。伊禰と光里は、人混みを掻い潜って突き進む。長身の伊禰に続く光里は、独特な安心感を覚えて表情を綻ばせていた。
光里と伊禰は、不思議なほど人が寄り付かない蕎麦屋に入った。人気の無い店だったがここは非常に都合がよく、ガラス張りの壁から一帯を一望でき、引手リゾートのホテルも見ることができた。
「ここなら、目立つ異変は視認できますわ。この店、当たりでしたわね」
ガラス張りの壁に面した席に陣取ると、伊禰は隣の光里にそう言った。光里は笑顔でこれに頷く。
そんな会話をしていると、店主が注文された笊蕎麦を持ってきた。ところで店主の表情を見ると、やたら嬉しそうだった。理由は明らかだ。
「ホントに嬉しいよ。見ての通り、このザマだからな。今日はゆっくりしてって。おやつもあるからさ」
明らかに流行っていない店の店主にとって、伊禰と光里は貴重な来客だ。長居も許してくれるとのことなので、この位置からホテルを監視していたい二人には好都合だった。
「引手リゾートだっけ? ああいう大手に来られると、ウチみたいな小さいトコは困るよな。昼飯の客、取られちまうし。古い小さい旅館も、みんな困ってるよ。六月からの予約が一気に減ったみたいで。全部、あそこに取られてやがる」
店主は暇なのか伊禰の隣の席に座り、何やら愚痴を言い始めた。どうやら引手リゾート、現地では余り歓迎されていないらしい。笊蕎麦を食べる伊禰と光里は、神妙な面持ちになった。
(前科者のホテルが大成功なんて、変な話…)
過去に罪を犯し、償いもしていない者が、他者を圧迫して良い思いをする。この現状に、伊禰も光里も改めて世の不条理を感じた。そして、店主の愚痴は続く。
「あそこ、今の社長の親父さんが都議会の議員になってな。その親父が、ここに息子のホテルを誘致したんだと。地域の活性化だの言ってるけど、得してんのは自分の息子と友達だけだよ。それの何が政治だよ」
店主の愚痴は思わぬ方向に進み、伊禰と光里は暗い心境で昼食を摂らざるを得なくなった。なのだが、店主の愚痴はそこまで不毛でもなかった。
「議員の親父、今日の夜にあのホテルに来るんだと。その時に、人がごった返してたら困るから、今日は敢えて団体客は断ってるみたいで…。宿とか店が何の為にあるのか、あいつらはまるで解かってねえ」
そう聞いた時、伊禰と光里は目を見開かずにはいられなかった。
(引手リゾートの社長の父親って、ジュールのお父さんを追い出した人じゃん。今日の夜、そいつが来るってことは…!?)
光里と伊禰の心の声が重なった。
苛怨戦士が現れるなら、十縷が憎む人物が二人とも揃う時だろう。まさか暇な店主の愚痴からこんな有益な情報が得られるとは、非常に幸運だった。
「あの、引手リゾートのこと、他に何か知りませんか? 社長の父親は具体的に何時に来るとか、その場に接待で社長も来るのかとか」
光里は食いつくように、伊禰を挟んだ向こうにいる店主に訊ねた。その勢いに店主は少し驚いたが、それよりも相手が話に乗ってくれた喜びの方が上回り、そのまま会話は弾んだ。
さて、長い列に並んだ時雨と和都は、オープン時刻までたかが五分なのだが、やたら長く待っている気がした。
というのも、十二時五十八分頃に社長の引手暈典が現れて、挨拶を始めたからだ。高級車に乗って来た彼は、ホテルの玄関近くで下車し、列を作る客に深々と一礼した。
「本日は引手リゾート・億田間ホテルにお越し頂きまして、誠にありがとうございます。従業員共々、お客様の為に誠心誠意…」
社長の暈典は客に礼儀を尽くしているつもりなのだろうが、時雨と和都はこの演説を鬱陶しく感じた。
「あれが引手暈典か。話長ぇな…。で、飲酒運転して轢き逃げした話はする訳ないですね。なんか、あいつの背後に霊が立ってる気がする…」
十縷から話を聞いている和都は、引手暈典に対して悪印象しか抱けなくなっていた。遠くから憎々し気に暈典の顔を見ながら、批判の視線を送る。
尤も、そんな視線など気付いたところで、この創業者一族の息子は痛くも痒くもないのだのだろうが。
「同乗だ。自分が轢いた訳じゃない…とでも言うんだろうな。しかし死にかけている人を前にしながら、逮捕されたくないという気持ちが、助けなければという気持ちを上回った時点で駄目なんだがな…」
和都に相槌を打つように、時雨はしみじみと語る。おそらくその場に居たら、十縷の父と同じような行動を取りそうな彼だ。十縷の父が受けた不当な処遇には、かなり思うところがあるのだろう。
暈典の挨拶は意外に短く、一時三十秒前には終わった。それから開店のカウントダウンを始め、丁度一時になったところでホテルの回転ドアの前に置かれたロープがどかされ、最前列の客が中に招き入れられる。
それを皮切りに、列を成していた客たちはホテルの中に流れ込んでいく。ホテルに入る客一人一人に、暈典は礼をして、「ありがとうございます」と言っていた。
時雨と和都はそんな彼に冷ややかな視線を送りつつ、ホテルの中に踏み込んだ。
「一先ず、飯にしましょう。中華とフレンチがありますね」
ロビーにあった一階の図面を見て、和都は時雨に提案した。時雨が中華と適当に言い、二人はそのまま中華料理のレストランへと足を運んだ。
「飯代って、経費で落ちるんですかね? 社長、何て言ってましたか?」
ロビーを抜けて廊下を歩いていると、和都はそんなことが気になってきた。言われたら時雨も気になったが、ここまで来たら引き返せない。
二人はそのまま足を進めて、中華料理のレストランまで辿り着いた。店は既に何組かの客が入っていたが、まだ席にゆとりはある。二人が店内に足を踏み入れると、すぐにウェイトレスが誘導の為にやって来た。
「いらっしゃいませ。ご予約の方でしょうか?」
ウェイトレスは青地に金の龍が描かれたチャイナドレスを着用し、頭髪を二つの団子状に結わえて如何にも中国風の装いをしていたが、そんなことはどうでもいい。
このウェイトレスと対面した瞬間、時雨と和都は思わず息を呑んだ。
「ゲジョー!? こんな所で何をしている!?」
二人は、そのウェイトレスの顔に見憶えがあった。彼女は他でもない、ゲジョーだった。思わず時雨がそう口走ると、営業スマイルだったゲジョーの顔も僅かに引き攣った。
「すみません。ご予約の方ですか?」
それでもゲジョーは時雨に付き合わず、あくまでもウェイトレスとして振る舞い続ける。声も普段とは違う、高めのトーンを維持していた。
しかし、二人はそれに合わせる気が無かった。特に和都の方は。
「お前がここに居るってことは、苛怨戦士はここに来るのか? 何を企んでる?」
和都は鬼気迫る表情でゲジョーに迫った。長身の和都に迫られ、堪らずゲジョーは後退する。そして、相変わらず彼の問には答えない。
対する和都には余裕が無いので、どうしても言動が荒くなってしまう。
「答えろ! 何を企んでるんだ!? ジュールに何をさせる気だ!?」
和都はゲジョーの両腕を掴み、体を揺するようにしながら問い迫った。店内は勿論、フロア全体に響き渡ろうかという大声で。
こうなると自然に一帯は響動く。興奮している和都はそれに無頓着だったが、時雨は焦り始めた。
「ワット、抑えろ。声が大き過ぎる」
時雨はすぐに和都を諫めようとしたが、これで和都が静まるより先にゲジョーが動いた。
「やめてください! 何するんですか!?」
ゲジョーは演技力が高く、怯えた声を上手く一帯に響かせた。こうなると、周囲の者たちはゲジョーに味方する。
「お客様、どうされましたか? 他のお客様もいらっしゃるので、そのような行為はご遠慮願いたいのですが」
ゲジョーに呼ばれる形で、店の奥からオーナーと思しき恰幅の良い中年男性が現れた。確実に時雨と和都が不利な展開だ。
そして、周囲にはまだゲジョーの味方が居た。
「この人たちが店員の子に掴み掛かってたよ。凄い声で怒鳴りつけて」
時雨と和都の後ろに居た老夫婦が、オーナーと思しき中年男性にそう告げた。
この発言に、時雨は珍しく苦虫を嚙み潰したような顔になる。二人の敗北はほぼ確定的だった。
「ワット、退くぞ。これ以上は無理だ」
時雨が和都に耳打ちし、退却を促す。和都は舌打ちしながらゲジョーを睨む。時雨はオーナーに「すみません」と呟きながら頭を下げ、和都を連れてこの場を後にした。
次回へ続く!