理系女と文系男/第14話;次のターゲット
タケ君がトイレでツケルに襲われてから何日か過ぎた。
どうやらツケルは職員室に呼び出されて、とても怖い生活指導部の先生に叱られたらしい。ボクシングが趣味という、とても怖い先生に。
私はそれを風の噂に聞いた。
私がそんな噂を聞いた、次の日くらいのことだった。
朝、私が自分の教室の席でボーっと英単語を眺めていたら、一人の女子が私に絡んで来た。
「おいっ、美人脚本家改めオタサーの女王⭐️ このダサいおばさん縛りをやめろぉー」
その子はそう言いながら、ゴムで一束にしてあった私の後ろ髪をほどいて来た。
彼女はサセコ。私の同級生だ。高二になったら髪を金髪に染めるようになり、化粧も派手になった。スカートは私より短い…どころではなく、股下5 cm程度にしていた。
私は気怠そうに、サセコに応じた。
「ツインテール? 私の長さじゃ、カッコ悪くならない?」
サセコは水色のボールをあしらったゴムを二つ取り出し、私の髪を即席でいじり始めた。両耳の上辺りで髪を束ねて、その水色のゴムで縛ってツインテールにした。
「いや。イケるわ。ほんじゃ、撮るよ! ちょっとムクれて…ピース⭐️」
サセコはスマホを取り出し、そのカメラを私に向けた。私は言われた通り、頬を膨らませて、横倒しにしたピースサインを目の隣に運ぶ。
そんな私の写真を、サセコはスマホのカメラに納めた。
「いやいや、今日も撮影あざっす! 【いいね】が幾つもらえるかな~」
サセコはそう言いながら、まだ生徒が来ていない私の前の席に座った。
サセコは私の写真をSNSに投稿するのが趣味という変な奴だった。私も私で、来る者は拒まずという精神で、サセコに付き合っていた。
「ねえ? 今日、ずっとこの頭でいなきゃダメ?」
私がそう訊ねると、サセコは頷いた。
ところでサセコ、今回はちょっと長話をするつもりだったらしく、こんな話題を振ってきた。
「私はリカのことを憂いているのだよ。リカはAKBに入っていればセンターになれていただろうよ。それがオタサーの女王だなんて…。しかもヤリマンだの言われ放題…。酷い話だ」
サセコが話しているのは『文筆部が不純異性交遊をしている』という噂だ。さすがにイラっとしたので、私はすぐに言い返した。
「やってないから。アホが想像で言ってること、真に受けないでくれる?」
私がはっきりと怒りを滲ませたからか、サセコはすぐに「怒らんで~」と言ってきた。声色はふざけていて、真剣に謝っている感じではなかったが。
このノリでサセコは話を続けた。
「私は信じとるって。あの陰キャたちにそんな度胸は無いって。って言うかさ。実質リカは、ケイ君のカノジョじゃん。他の二人は手ぇ出しにくいよね。ケイ君の方も、和が乱れるから派手にいちゃつくこともでないし」
この発言はちょっと気になった。私は真剣に考えさせられた。
(私は実質ケイのカノジョ? そうなのかな?)
私は公言していなかったけど、この頃の私はケイに好意を抱いていた。三人の中で、話す機会が多いのは断然ケイだった。一緒に行動することも多かった。
だけど、恋人どうしなのか? デートに相当することは、高一の時の塾帰りに一緒に夕飯を食べていたくらいで、休日に何処かへ行くとかはしていなかった。
このレベルで恋人と言えるのか、自信が無かった。
(もし、ケイがそう思ってくれてるなら嬉しいし…。大学生になったら、二人で何処かに行ったりしたいけど…)
私は悩みながらも、自分にとって理想的な未来を想像し始めていた。多分この時、ニヤけていただろう。
だけど次のサセコの一言で、私はこの想像の世界から一気に辛い現実世界へと引き戻された。
「まして今はツケルに悩まされてるからね。恋なんてしてる場合じゃない。つくづく、リカは不運だよ」
サセコは悪意があるのか無いのか、何の抵抗も無く今の私が一番嫌う人物の名前を出してきた。ツケルのことを思い出させられると、自然と私の眉間には皺が寄る。
「あいつの名前は出さないで。シュー君に付きまとってたと思ったら、今度はタケ君を殴って…。本当に迷惑なんだから、あいつは」
私は苛立ちをそのまま言葉にした。対照的にサセコはケラケラと笑う。
「まあねぇ…。あいつにとって、タケ君やケイ君は恋敵だからね。もしかしたら、リカも恋敵と思ってるかな? だけどリカには手を出したら、かなりの男子を敵に回すからね。なんなら、私もキレるし」
一体、サセコは何が言いたいんだろう?
だけど、この不愉快な会話はこれで終わった。私の前の席の子が来たからだ。これでサセコは教室の外に出て行った。
はっきり言って、サセコの考えは全く理解できない。実のところ、私をどう思っていたのかも。
だけど、これはサセコなりの予告…というか警告だったのかもしれない。そう私が思うようになったのは、それから何日後の話だった。
どうでもいいけど、私はこの日、本当にツインテールで一日を過ごした。
それからまた何日か経ち、一学期の中間テストの二週間前という時期を迎えた。この時期になると部活は休みになり、だいたいの生徒は塾が無ければ放課後は真っ直ぐに帰宅する。
私もその例にもれず、だいたいの生徒と同じ行動をしていた。
しかし、テスト一週間前のある日だった。かなり嫌な事が起きた。
私の家はちょっと辺鄙な所にあり、学校へは長距離の路線バスで通っていた。この日いつも通り、私はバス停で列に並んで帰りのバスを待っていた。
ふと気紛れで列の後ろの方を見ていると、嫌な人の顔を見てしまった。
(えーっ!? ツケルと一緒かぁ…)
バス待ちの列の中にツケルの姿を見た。と言っても、これは驚くような話ではない。
ツケルも通学にこのバス路線を使っていた。尤も私と違ってツケルの家は学校に近く、バスに乗っている時間は短かったけど。
(まあ、今日はシュー君の後をつけてないってことか…)
私はそう思って、気を落ち着けることにしたのだけど…。よく見たら、ツケルの隣には女子高生の姿があった。私の学校と同じ制服の。スカートはかなり短い。髪は金色に染めている。
(サセコ!? あいつ、このバスじゃないでしょ!?)
そう。どういう訳か、ツケルの隣にはサセコがいた。
サセコ一人だったら、列を抜けて声を掛けに行っていたかもしれない。だけどツケルが隣にいるから、それはできなかった。
そのうちバスが来た。
私は一抹の不安を胸に、バスに乗った。
バスは混んでいて、私はずっと立っていた。これはいつも通りだ。
多分、ツケルとサセコも同じバスに乗った筈だけど、二人がバスのどの辺りに乗っているのかは確認してなかった。と言うよりできなかった。
10分くらいバスに乗っていると、ツケルの家の近くのバス停に辿り着いた。何人かがバスを降りた。
私は漫然とバスのフロントグラスの方に目をやった。バスを降りた人の姿が見えた。普通に考えれば、この中にツケルの姿があるハズだったけど…。
(あれ? ツケル、降りてない? どういうこと?)
バスを降りた人たちの中に、ツケルの姿は見受けられなかった。私は首を傾げつつ、この理由を考えてみた。
(いや、私からは見えない所に行っただけだろうね。テスト前だし、さすがにバカなことはしないよね)
別に外の全景が見渡せていた訳ではない。私がツケルの姿を見落としていた可能性は十分にある。私はそう解釈した。
多分、これは脳が自動的に判断して、自分の気持ちが落ち着く方向に思考を導いたのだろう。
他の可能性は、あんまり考えたくなかった。
私はもう何十分かバスに乗っていた。自宅近くのバス停に近付いて来る頃には、混雑率も多少は低下していた。
私も次のバス停でバスを降りる。その時だった。本当に嫌なことが起きた。
「きひひひ…」
私の耳元で厭らしく笑う声が聞こえた。ぞっとした。聞き憶えのある声だったから。
(まさかツケル? ここまで乗って来たの!?)
後ろを振り向いて、顔を確認する気にはなれなかった。恐怖心の方が上回ったからだろう。
そんな風に半ば硬直していた私は、次の瞬間に更なる恐怖体験をすることになった。
(えっ!? 痴漢!?)
誰かの手が私の臀部を撫でた。私は瞬間的に体を捩った。これは防御と言うよりは反射だ。私は身体接触に対して過敏だったから。
私の臀部を撫でた人物は解らない。だけど、ツケルの可能性が高いだろう。私が身を捩った瞬間、「きひひひ…」という厭らしい声が聞こえてきたから。
(タケ君の次は私か…)
私がそんな風に思っていると、何者かの手がもう一回、私の臀部を撫でた。私は先程と同じように、体を捩った。
また、「きひひひ…」という厭らしい声が聞こえてきた。
(ツケルめ…! もう絶対に許さん!!)
私は怒りに打ち震えていた。だけど、どうしてだろう? この場で「痴漢です!」と大騒ぎすることはしなかった。今でもその理由は解らない。
やがて私のバス停に辿り着いた。私は降りる為に、バスの前方へと向かう。
私以外にも降りる人がいた。二人ほど。
その二人は私よりも先に降りた。私の学校の制服を着ていた。男と女だった。
(ツケル。なんか知らないけど、サセコも一緒? 何なの、こいつら?)
疑問と怒りが私の胸中で暴れ回る。
私より先にバスを降りたツケルとサセコは、そんな私を待っているかのように、バスの方を向いて立っていた。
私は二人を叩きのめすつもりで、バスを降りた。