イソップ童話から学ぶ、より良く生きるための極意
イソップ童話のすっぱいぶどう
イソップ童話のすっぱいブドウの話をご存じでしょうか。
ある日、キツネが歩いていると、ぶどうの木になっているおいしそうなぶどうを見つけました。キツネは腹ペコだったので、そのぶどうを必死になって取ろうとします。しかし、いくらジャンプしても、あまりに高い場所にあるため、ぶどうに届くことができません。ついに、キツネは「あのブドウはすっぱいに決まっている」と言って、歩き去っていきました。
「認知的不協和」とは
この寓話が示しているのは、「認知的不協和」という現象です。
「認知的不協和」とは、自分の考えと行動が矛盾したときに、その矛盾により感じる不安を解消するため、認知を変更して行動を正当化する現象のことです。
(有名な例でいえば、タバコは体に悪く、やめた方がいいと分かっていても、タバコを吸っても長生きしている人はいると考え、タバコを吸い続けるという現象です。
他の例でいえば、ダイエット中なのに、今日だけは特別、とご褒美と称して甘いものを食べてしまう等ですね)
つまり、人間は上手くいかなかったことに対して、自分を納得させるために、自分で言い訳をつくりだしてしまうということです。
この認知的不協和をやり続けると、言い訳する人生が続いていくことになります。
言い訳する人生とは、自分の生きたかった道からどんどん外れていくということです。
気をつけないと、人生に言い訳をするようになってしまう
私も20代のときは、なにか上手くいかないことがあっても、それも人生だと、受け入れてきました。
つまり、自分の人生なのだから、それでいいのだと。
しかし、30歳を超えてから、その生き方では、学びがないことに気づきます。
上手くいかなかったときに、認知的不協和を起こすのではなく、なぜ上手くいかなかったのか、どうしたら上手くいったのか、そもそもその行動をするに至ってしまった考えとはなんだったのか、ということを振り返っていった方が、学びがずっと深まると思ったのです。
イソップ童話のきつねはどうするべきだったのか?
イソップ童話のきつねでいえば、考えるべきことは以下の2点であると思います。
①どうしたら高いところにあるぶどうを取ることができたのか
②そもそもなぜ取ることが無理な場所にあるぶどうを躍起になってほしがってしまったのか
このきつねに足りなかったのは、行動基準と態度変容です。
お腹がぺこぺこであったのならば、まずはお腹を満たすことが先決になります。ぜいたくなたわわに実ったぶどうではなく、木の実や小動物などでお腹を満たすことが優先的になるはずです。ぶどうは、お腹を満たして、元気な状態で取りにいけばよかったのです。
そして、ぶどうを取る段になったら、きつねは数回のチャレンジで取るのが難しいことに気づき、次善策へと移行するべきなのです。疲労困憊になり、怒りをため、認知的不協和に陥るのではなく、もう少し手の届きやすいぶどうを探す、もしくは、ぶどうに代わるおいしそうなものを探す等の考え方、行動の変容が必要であったと思います。
人生に言い訳はしたくない、とはいっても……
自分の考え方、行動に言い訳はしたくない……。
とはいっても、自分の決めた行動基準通りに行動するのは、簡単なことではありません。
でも、自分の生きたい人生からは外れていきたくない。自分の理想とするような人生を生きたい。
だから、せめて認知的不協和に陥っていないか、注意しながら行動していきたいと思います。