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展示『私たちのエコロジー』について

※このような冷笑的な態度から発せられた言葉は、多分、相手には届かない。反省して、態度を改めないと、な。


森美術館で開催されている『私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために』という展示を観てきた。

「反人間中心主義」というけれど、この句に統一の定義が存在しているとでも思っているのか? もう21世紀なのだから、人間中心主義とは? 人間とは? という問いから始めたいところだ、と思ったところに、松澤の「人類よ滅亡しよう行こう行こう 反文明委員会」という写真が設置してある。

私たちは人類であり、それ以外ではあり得ない、勿論、動物であるわけがなく、「私」ですらない、人類なのだ、と信じる場合には、人類の滅亡=私たちの滅亡である、、、と書いてみたが、どうも変だ。

「私」というのは、自分とそれ以外とを別ける「自我」や「自己の同一性」を必ず含む語か? なるほど、エリク・E・エリクソンを読んでみるか、となるわけか。そして、レインの『ひき裂かれた自己』だ。

海に沈んだ原発とローマ帝国の遺跡だったか? 

蛇が不吉なものの象徴とされてきたいうのは、所謂キリスト教の旧約聖書の創世記に由来するのか? ユダヤ教の聖典の逐語訳をチラッと読んでみたいと思ったまま、時間を作れていない。または、ユダヤ教以前は? アルファロメオの紋章については検索したことあったはずだけど、思い出せない。

因みに、蛇が女を誘惑して女が男を誘惑して、詰まるところ、誘惑する者こそが悪いのであり、誘惑に乗っかった奴は悪くない? という、トラブルの原因は自分の中にあるのではなく、他者(環境因も含む)にあるとする、他罰的なスタイルで、男は悪くない、女は男を誘惑したから悪い、蛇は誘惑の根源であり最も悪いという理屈によって、仮に、男という属性を全人的な存在へと高めようとしているならば、今一つ思いきりの足らない物語ではないか? と感じていて、少なくとも、この物語の蛇は、ぺニスのことでは?と。詰まり、ぺニス(男の内にあるもの/欲望)が男を誘惑し、女もそれに応えた、運命共同体的な物語の始まりと解釈するのは不自然なのか? その直後の変化の描写ともぴったり合うのでは?とかなんとか考えていたこともあったなあ、そんなこととこの人間中心主義とは?という問いが深く繋がっている気がする。

エコロジーというタイトルで、前回の展示で使われた材料をそのまま使っていますと派手に知らせる演出があったが、あれは、次回の展示でも次の次の展示でも、朽ち果てるまで使うのか? 再利用の方がコストがかかるという状態に成るまで使うのか? 今回の展示テーマと相性が良かったから使っただけで、一度も再利用しないよりはマシということなのか、こういう意地悪みたいなことを言って、じゃあお前はどーなんだ?というやり取りをしたいわけではなく、もう、こんな演出で安心なんて出来ないんだなあ、という。。

以前は、土に帰るような気がして、土葬に憧れていた。でも、大型の魚なんて比較に成らないほどのメチル水銀などなど有害物質を身体に溜め込んでいるのなら(実際、どんなもんなんだろ?)、土に返すなんてとんでもない、せめて焼いて浄化せねば、否、焼いて浄化可能なのか?と、宗派の問題ではなく、もやもや。

ケイト・ニュービーさんのエリアでは、靴で踏めるということは触っても大丈夫ということで、人口大理石に埋め込まれたつるつるのゴミを触った。自分で拾ったゴミがどれか、2つだけ面影を確認して、触った。

テレビ番組『カンブリア宮殿』で、すかいらーく創業者の方が言っていた、こんなところに花瓶を置いたら、もしお客様が倒してしまったら、お客様を「申し訳ない」という気持ちにさせてしまう、旨の言葉を思い出した。

触れる、鑑賞者が触っても大丈夫な展示、写真に撮れない展示、写真には撮れない、触れる、エコロジーについての思考、触れて、写真に撮れることがまるごとそのままエコロジーについて思考することに有効な働きをするわけでもあるまいが、コロナを体験したあとでは更に、わざわざ積極的に床に触ったのは、久しぶりだった。床に触れた後は、手を洗うまで、なるべく何処にも触らないようにした。

私は中学生の頃、父親からの影響でエコロジーに興味を持ち、更に中学生的なエフェクトがかかり、人類が地球の癌細胞のように思えるような価値観を持っていました。しかし人類が滅びても、原発やら何やら危険なものを残してしまうし、と。

エコロジーといえば、CO 2の排出権を売買するというアイディアは、とても素晴らしい。

今まで散々CO 2を排出してきた国は、金で排出権を買って、これからも富裕層は排出し続けるが、後から工業化など進んできた国に対しては、金がないなら排出するな!というわけだから、アンフェアなエコロジー計画に曖昧な印象を与える為の画期的な演出、素晴らしいアイディアだ。

企業のイメージ戦略でもお金儲けでも何でもいい、こーゆー革命的な想像力を悪くない方向へも使えたらなあ、と思ったものです。

さて、時間を作って、最近のエコロジー関連の文献も読んでみないとな。
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ミルトン・H・エリクソン/アーネスト・L・ロッシ 『ミルトン・エリクソンの催眠療法ケースブック』 (P. 56- 57)

八 新しい反応ポテンシャルを促進する質問 d 否定 
そして、あなたはできます、できませんか?

あなたは試みることができます、できませんか?

あなたはそれを止めることができません、できますか?

あなたはそうします、しませんか?

あなたはします、しませんか?

なぜ、そうなるようにさせないのですか?

研究では、肯定と否定を近くに並置することには、他にも価値があることが示されました。否定を理解することは、肯定を理解することより、三◯%難しいことがわかりました(Donaldson, 1959)。このように、否定を使用することによって、混乱を導入することができます。混乱は患者の制限された意識セットを弱める傾向があります。その結果、内面的な仕事をすることができます。


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