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名前が気に入ってること、実物が素晴らしいこと
私は優香という自分の名前が気に入っている。
名前が気に入ってるから、人には名前で呼んでほしいと思っていて、それって願わなくても叶うことだと思うけど、私の場合願う理由があって。
小学校も中学校も高校も大学も、同級生に同じ「ゆうか」という名前の子が多かった。それ故、ほとんどの友だちには苗字で呼ばれていた。
だから、優香という名前を崩すことなく、優香、優香ちゃん、優香さんと呼ばれることに未だに慣れていない。名前で呼んでほしいと思っているのに、いざ呼ばれるとくすぐったい。(最近出会った年上の女性が、私のことを優香ちゃんとさらっと呼んでくれて、本当に嘘みたいにどきどきしている)
好きな歌人、紺さんにサインをしてもらう時もそうだった。名前を伝えたら「素敵な名前ですね」と言われた。
くすぐったさと、名前を褒められた嬉しさ。好きな人にそんなことを言われて、本当に、耳が、頬が、赤くなった気がする。
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その時、好きな短歌も書いてくれた。
頭で何度再生しても
実物のあなたはちょっと違うからいい
この「あなた」に当たるのは、人はもちろん、好きな声、好きな味、好きなデザイン、好きな絵、好きな建築。私の場合はいろんなものに当てはまる。
何度写真を見返しても、何度頭の中で思い出しても、また目の前に現れると、自分の想像や期待を鮮やかに裏切ってくる。
こすれるくらい記憶の中で繰り返し触れているのに、実物を見ると、「こんなにキラキラしてたっけ?」とか、初めて見た時の新鮮さを覚える。これだから好きな人を好きでいることをやめられない。
紺さんは、生きているものは生きている限り新鮮で変わり続けます、と言った。AIとかデジタルとかそういうものがより身近になってきたけれど、人間捨てたもんじゃないなって主語の大きいことを思った。
この短歌が載っている短歌集は『気がする朝』というタイトルなのだけど、私が気に入っている優香という名前の他に、「朝香」という名前の候補があったと母が昔教えてくれたことを思い出した。朝香だったら、また違う人生だったろうと思うけど、朝香という名前もきっと気に入っていただろうな。