その言葉が世界のすべてじゃない
「それってちょっと甘やかしてない?」
友人の言葉が賑やかなファミレスで私の耳にまっすぐ響きました。
長女が不登校になって、間もないときです。
定期的に会っていた友人に近況でそのことを話したとき、冒頭の言葉が放たれました。
「そこは泣いても、引っ張ってでも連れてくべきじゃない?」
私は曖昧に反応することしかできませんでした。
…やっぱりそういう対応すべきなのかな。
友人と別れたあとも「甘やかし」…。その言葉が私の頭のなかをずっと回ってました。
「行きたくない」本来は子供のその主張に対してもっと厳しくするのが親として正しくて
それを許してしまっている自分が、「甘やかして」いるから、学校に行っていない状態をずるずると続けさせてしまっているのかな。
だけど。
だけどだけど。
毎朝行くか行かないか聞いて。「このまま行かないともっと気まずくなるよ」って声をかけたこともあって。
「昨日、休んだから今日は行くよ!」ってなんとか制服に着替えさせて足を引きずるようにして
歩く長女を振り返りながら急かす気持ちも押さえて、校門、時に昇降口まで連れていって
担任の先生に引き渡して「お願いします」と頭を下げたこともありました。
そんな風に学校に行った日は長女は疲れた顔で帰ってきて、倒れるように布団へ…。
私はあれを続けるべきだったのかな、途中でやめた自分が、白旗をあげてしまったような気持ちになりました。
そして母からの言葉も時にハンマーのように私の心を砕きました。
だけど、それもこれも私がちゃんとしていないからだ。と自分のことを責めたりしました。
…いま振り返ると私は随分と自分自身を狭い世界に閉じ込めていたのだなあ、と感じます。
「甘やかし」
「この先どうするの?」
私は本当にこの言葉しか見えてなかったですし、しっかり受け止めてました。
それらすべてはその人個人の「べき」からただ出てきた言葉だけであって、私は丸ごと飲み込む必要はないということ知らなかったんですよね。
反論、とかそういうことじゃなくて。だけど無理矢理に消化しなくてもいい。そのことを知ったのは
あるコミュニティの場所に訪れてから。
市内の、不登校の子がいる親のコミュニティです。
不登校に関して、あらゆる人から様々な言葉のそのまま受け止めて、自分のことを責めているママさん。
流したっていいんですよ😌
自分のことを責めないでくださいね。
各々、不登校に関して自分に向けられている言葉は「世界の当たり前」じゃないです。
それぞれの、価値観から。
通ってきた道から。経験から。
紡がれた言葉だけであって、ついね。
「その当たり前であろうことが」
「親である、すべき行動が」
できない…できてない…ダメ親…。
何て、責める必要はないです…。
自分ひとりだとその言葉が「世界」になってしまって、悶々としちゃいますよね。
私は、そうでした。なんならいまも揺らいだりします。
いま自分のことを責めている優しいママさん。
ちょっとだけ、まわりを見てみてください。
同じ様に不登校と関わっている人の本とか…ブログとか、オンラインでもオフラインでもおしゃべり会とか。
まず一回でもいいです。ちょっと覗いてみてください。
そしたらね、言葉の受け止め方が、少しだけ変わりますよ。
「甘やかしじゃない?」
「このままじゃ将来が心配」
それらの言葉は、世界のすべての共通じゃないですから。
いま、ちょっとだけあなたの世界を、まわりを見渡してみてください。
なにが、見えましたか?
ここまでお読みいただきありがとうございます😌
からふるでした。
余談なのですが…
Xでいま、自分の視野を広げるため「あなたの好きこと」教えてください♪をテーマにおしゃべり企画、やってます。
https://x.com/black_cat_cafe_/status/1841047939097248056?t=-n7N8UcQOdPCZQVjsgT72A&s=19
ちょっと、気晴らしにお話してみようかな…というかた。
良かったらちょっと見てみてください😄
気になったらDMでお問い合わせください🍀