ねばべき思考。「普通」ってなんでしょう
こんにちは。
からふるです!
今回、2回目の投稿をするにあたって
なにを書こうか、すごく悩みました。
というのも前回のnoteで
自分自身がネットや本の文章に
元気を頂いたり、救われて不登校に
前向きに向き合うことができました。
そのことがきっかけで、私も同じように自分の経験を文章にして誰かの笑顔に繋がれば。
その想いでnoteを書き始めました。
ということを発信しました。
ので、逆にどういう内容を届けたら
いいのだろうか…?
と、悩んでしまいました。
あ、よろしければこちらどうぞ↓
だけど考えてみれば
私はそんな偉そうになにかを言える
人ではなく、そう。
イチ「人間」
不登校に悩み、揺らいでいた(それはいまも)
ありのままの私を書けばいいのかな?
そう思い今回、不登校初期で
私がまずぶつかったこと。
そのことを書いていきますね!
登校復帰させないといけない
長女が不登校。
そうなったとき私の頭にすぐ浮かんだのは
これでした。
「学校にまた通わせなきゃ」
いままで当然のように
小学校→中学校→高校→大学or就職
自分がそのルートを辿ってきたように
子供もそのルートを同じ様に通っていく。
そう思っていました。
なので長女が中2の夏休み明けに不登校。
そうなったときに慌てました。
「不幸になる」
「将来大変なことになる」
同時に離婚した年だったから
そのことが原因でそうなった(もちろんそれも関係している部分はありますが)と
後ろ指をさされるじゃないですけど
いわゆる世間体というやつも気になって
余計に「登校復帰」のことで
当時は頭がいっぱいになりました…。
長女がどうしたいとか
聞こうということも思い付かなかったですね。
そして多分聞いて本人の「行きたくない」
と意思確認をしたとしても「いやでも」と
行かせようとしたことは変わらなかったと
思いますね…。
質問の繰り返しと自己嫌悪の渦へ
そこからはいま思い出しても辛い日々のスタートでした。
さてここで、長女が完全不登校になるまえ。
五月雨登校状態のときの話を少し話そう
かと思います。
離婚して、引っ越し→転校。
新しい学校に通いはじめて数週間してから
長女は休んで、その翌日か翌々日に登校。
それを繰り返していました。
私はそのリズムを崩してはならないと
途中から意地になっていました。
「行きたくない」
「わかった、今日は充電日ね。明日は行くんだよ。約束」
そして連続の休みにならないように重い足取りの長女を校門まで、時に昇降口まで付き添い登校しました。
この時、長女は学校から帰宅すると
倒れるように即お布団へ。
かなりパワーを使っていたといまなら
わかります…。
だけど、当時はとりあえず登校している。
そのことに安堵していたのですよね…。
のちに長女はこのときの教室にいる
自分の心理状態を
「地獄」
と言ってました…。
とにかく早く帰りたいとそのことばかり
考えていたとのことでした…。
そうして一学期を終えて夏休み突入。
夏休み明けに長女、不登校スタートと
なったのです。
静かにショックでした。
あんなに頑張って行かせてたのに。
行ってたのに。
だから、またどうにかすれば行けると
思って毎朝期待を込めて聞いてました。
「今日はどうする?」
「行く?」
こんなことも言ったこともありました。
「行ってみたら案外平気かも」
「このままだともっと行きにくくなるよ」
毎朝、欠席連絡をしては落胆する日々…。
そのたびに「なんで?」と自分にも
長女にも質問して、時に責めて
落ち込んでました。
もう負の迷路に入り込んでました。
そしてきつかったのは
学校からも「なんとか行かせる方向に」
自分の親から「これからどうするの」
友だちからは「甘やかしじゃない?」
と言われたこと。
それで、余計に「行かせなきゃ」に
拍車がかかってました。
でもね。自分自身
上記のようなことをそれぞれから
言われて「わかってるよ、でも」
とイラついていたにも関わらず
長女にも同じ様に無理やり
行かせようとしたこと、その行為は
私が苦痛に感じていたことと何も
変わらないってこと。
そのとき気付いてあげられなくて
ずっと、行かそうとしてました。
自分の壁を崩した瞬間。
それからは前回のnoteで書いた通り
一冊の本に出会い、不登校のこどもの
親の会に参加したことがきっかけで
徐々に「学校に行かせねば」の壁が
「行かせるべき」の考えが崩れていきました。
と、同時に改めてその鎖を見つめました。
よく言う、聞く言葉だけど。
「普通」ってなんでしょう。
はっきりいって、よく使ってました。
何気ない会話の中で、言葉にしました。
いまも癖で言ってしまうこと、あります。
「普通はさ~」
でもよくよく考えてみれば
それって自分の考えと違う考え。
ただ、それだけなんですよね。
自分のなかの「ねば」「べき」
それって自分が経験してきたことや、
重ねてきた考え、通ってきたことです。
だから、人によって似たような環境は
あれど全く同じ道というのはないわけで
「普通」はそれぞれの主観なんですよね。
例えば「サッカー」「バスケ」
大きなカテゴリでいうとボールを扱う
スポーツですがまったく違いますよね。
なのに「こっちのほうがやっている人が多いから」とか「メジャーなのはこっち」とか
そんな風に言い争うのはおかしいですよね。
それぞれの良さがあって、どっちも面白いとなりますよね。
ちょっとわかりにくい例えかもしれませんが
今回、私は自分が通ってきた道が
大多数だから「不登校」は不幸であると
勝手に決めつけて、長女にそのことを
押し付けてしまってました。
それは間違ってました。
無理やり学校に行かせていたとき
長女に笑顔はありませんでした。
自分の通ってきた道と同じ様に
学校に通わせていたけど幸せは
そこにありませんでした。
「普通」なんて個々に当てはめる言葉
じゃない。私は不登校生活を過ごして
そう感じました。
これからどんな、道を通っていくか
その選択が完全に閉ざされると思い込んで
いましたけど、道は繋がっています。
誰かにとっては遠回りに見えるかも
しれません。
でもその道を歩いているのは
長女自身です。
もちろん、迷子になりながら
選択して道を歩いています。
歩いてきた道の長さが違うだけで
いまも私自身、迷子になることあります。
だからこそ。
選択した道に対して「普通は…」と
言わないようにしています。
(なかなか難しいときもありますが)
歩いてきた道はすべて経験
自分が通ってきた道のなかで重ねたものは
なにかの選択の指針になると思いますし
貴重な経験で、それは誰かの気持ちに寄り添うこともできるものといまは感じてます。
学校に「行かせねば」「親として行かせるべき」に固められていたとき不登校はとても苦しかったです。
一方的に押し付けていたそれを手放したとき
ココロが楽になりました。
もちろんいまも揺らぐ場面はあります。
でも「決めつけないように」と
深呼吸できるようになりました。
そして。そんなこと言いながらも
不登校のことに限らずまだ色々な
「べき」や「ねば」に悩んだり
イライラしたりすることもあります。
だけど、いったん止まって
「これはべきねば思考じゃないか?」と
考えたり、ちょっと相手の気持ちも聞いてみようと思えたりなるようになりました。
それは紛れもなく、この不登校生活を通ってきた経験からです。
さっそく活きてますね!(笑)
「普通は」と言葉にする前にちょっと
ワンクッション。
自分の「ねば」「べき」思考になってないかな?
少し考えてみること。これからも続けていきたいです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
誰かのココロに、笑顔に
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