(86)学ぶとは
まずは圧倒的な量と質
人は手取り足取り「何から何まで教えてもらう」ことを「学ぶ」だと思っている。そして「できない」のは「指導が悪い」ということにすり替えたがる。
20年前私は「気功」に出会い、上奥靜雄先生に弟子入りをした。
(私には、外気の師匠1人と内気の師匠2人がいる。上奥先生は外気の師。)
しかし現在の私という「気功家」を生み出したのは、自分自身の「あくなき探求心」が現在の私にしたわけで、先生ではない。
「学ぶ」とは、先生から「盗み取るもの」。
言い換えると、
師匠は細かな本質的なことを言語化することは非常に難しく言葉で表せない。この感覚は自分でつかむもの。
しかしその前に言うまでもなく、質の高い圧倒的な量をこなしてからの話。
質の高い圧倒的な量以前にほとんどの生徒は消えて行く。