校庭にて。
子どもの小学校での持久走大会を観に行ってまいりました。
こーゆーの、ダメなの🥲
なんかよく分からない涙がぽろぽろ出てくる。
マスク社会で良かった。知ってる人に会わなくて良かった。だって、恥ずかしいもの。
自分の子どもが頑張ってるのはもちろんだけど、幼稚園時代から仲良しだった子の頑張る姿も見逃せない。
アトピーと喘息、重いアレルギーをたくさん持ってて、食べられるものの方が少なかった、娘の友達。
幼稚園もよく休んでたけど、今も給食は食べられなくてお弁当で通っているんだけど、それでも持久走は最後まで完走したよ。
頑張ったねとか、立派になったねとか、良かったなぁとか、いろいろ溢れて、なんかまた涙が流れてる。
そんな彼は中学受験もするらしいと、風の噂に聞いた。
ママさんも知っていて、けれど子どもに多くを期待して背負わせるようなママさんでは決してないので、本当にその子の、自発的な頑張りなんだろう。
小さい幼稚園だったので、他の子も自分の子も、同じように愛着があって可愛らしい。
みんな、ひとりひとりここに来るまでのドラマがちゃんとあって── だからつい、あの子大きくなったなぁとか、しっかりしたなぁとか頑張れよとか、ひとりでマスクのなかでぶつぶつ呪文を唱えてしまう。
でね。
子どもたちはどうやらペアになっていて、片方は走る人、片方は記録する人で一組らしい。
ちゃんと応援するんです。記録してる子が走ってる子を。
遅くても、足が出てなくてフォームがガタガタでも。
あと一周〜!とか声かけたり、逆にコースアウトしそうだったら教えたりしてさ。
優しいよな……今の子たち……。
大人こそがそうあるべきだよなって、すごくハートに刺さった。
人生も長い長い持久走みたいなもので、絶好調で走れるときもあれば、疲れてきてペースが落ちるときだってある。
ときに間違いをおかしてコースアウトするときだってあると思うんだよね。
だけど、道を間違えた人だって、間違えたくて間違えるわけじゃない。
そういう人には『間違ってるよ』って教えて、優しく背中押してコースに戻してあげたい。いや、戻すべきだ。
子供ができて、どうして大人ができない?
この世には狡賢い人間が多いから、だから糺さなくちゃいけない。
それも分かるんだよ。
だけど、具体的にどの件をとは書かないけれど── 正直、叩きすぎていないか。
正義の味方になったつもりで叩いてるそれは、本当に『悪』なのかい?
単なる『間違えてコースアウトしちゃった人』じゃないのかい。
こんな狂った世の中だから、私たちには間違っていることを糾弾するパワーが必要なのは確かだし、そうされるべき人間は数多いる。
だけどね、『見守る力』『優しい力』もどうか大切にしてほしい。
特に自戒しなければらないのは、自分も含めた、こうしてネット上に記事をupしている人たち。
言葉をナイフとして使うならば、使う相手を間違えるな。
誰かを断罪して突き飛ばす言葉ではなく、どうか愛のある温かい言葉を。
『書く者』として重々このことは胸に刻まなければと、そう思った朝でした。
ちょっと朝の決意としては重いね……^^;
まだ一日は始まったばかり。
どうか、今日もこれをお読みいただいた方が善き一日でありますように。