前項の続き
〔104〕国際共産主義とワンワールド國體の対決が最終戦争(2)
本来、農漁業を生業とするヤマト民族の宗教は多神教である。
「多神教」とは何かを説明するために、その反対語である「一神教」について述べると、その骨子は「神なるモノは人類の創造者であり唯一無二の存在で、我らが崇める神のほかに神はいない」のと主張に尽きるのである。
同じく「神」なる名詞を用いても、仏教徒(多神教)の謂う神仏の神とは全く意義が違うことを銘記せねば論議は混乱する。この故に、南方熊楠は一神教の神を「天帝」と訳して「神」と峻別したのであるが、多神教においても天地創造神は存在し、日本神道に造化三神の一つ「天御中主神」があり、支那の道教にも「元始天尊」があるが、これらの神格は多神教が一神教の「神」に対抗すべく、天地創造神の観念を持ち込んだとの見方もある。
かるがゆえに、一神教徒からすれば全人類は二通りしかいない。一神教の「神」、それも彼らが仰ぐ「神」を信じる者と、それ以外の多神教の神(かれらがいう「地祇」)に帰依する異教徒である。
一神教にも幾つかあるが狭義には「絶対的一神教」のことで、概容は上に述べたものである。これに対し「神は自分らにとって唯一の存在であるが、他人にもそれぞれの神があってしかるべし」とする「相対的一神教」もあることはあるが、宗教的信念の深さが異なり「絶対的一神教」のごとき迫力はないから、単に一神教と謂えば「絶対的一神教」のことと観てよいのである。
奴隷使役制度の根底にこの一神教が横たわる事は、諸兄姉にも御高承のことと思われるから詳論しないが、興味深いのは奴隷使役制度が頂点に達した古代ギリシャの宗教が多神教だったことである。
さらにいうと、古代オリエントの宗教は本来多神教であったが、古代エジプトの統治下で奴隷状態にあったヘブライ人が創めたと思われる一神教が、
ローマ帝国の末期にローマ社会に浸透し、ヘレニズム宗教たるオリンポス神話を基にしたローマ神話の座から国家宗教の座を奪ったことである。
つまり、ヘレニズムが完成した奴隷使役制と、ヘブライズムに発祥する一神教が結びついたのが近代の奴隷使役主義なのである。多神教のアジア諸民族が心の深奥から人種平等を理念とするのに対し、コーカサス族をはじめとする騎馬民族は農耕民族を奴隷化した農奴による荘園経営を生業とするため異教徒観を以て奴隷制度を正当化する中東発祥の一神教を奉持したと考えられるのである。
近世になって世界史に登場した大国がアメリカとロシアであるが、アメリカはアフリカから拉致してきた黒人を奴隷として使役することで国内を植民地とし、ロシアはユーラシア内部の多民族を征服して農奴とすることで、やはり国内を植民地化したのであるから、両国はやがて東南アジアを開放した日本が盟主となって結成した大東亜共栄圏の諸国と雌雄を決すべき運命にあったのである。
世界史のこの道筋に異常が生じたのは、十九世紀の欧州で誕生した共産主義がロシア革命を実現したからである。世界革命の第一過程としてのロシア革命を指導したレオン・トロツキーはレーニンの世界革命論を信奉していたが、大正十三(一九二四)年のレーニンの死後に起った共産党内の権力闘争に勝利してトロツキーを政権から追放したスターリンは「一国革命論」を主張した。
昭和四(一九二九)年に国外追放されたトロツキーはトルコ・フランス・ノルウエーと各国を転々として、国際共産主義を流布したが、昭和十一(一九三六)年にソ連の圧力でノルウエーを追い出されてメ移ったメキシコで、昭和十三(一九三八)年に「第四インターナショナル」を立て、コミンテルンに代って国際共産主義運動を普及していたが、昭和十五(一九四〇)年八月二十日にスターリンが送った刺客に襲撃され、翌日死亡した。
白頭狸が伝授を受けた國體秘事では、スターリンを支援していたのは後藤新平である。昭和四(一九二九)年に列車内で仆れた後藤新平は、京都府立医専で息を引き取ったとされるが、これ実は偽装死で、その後ソ連に渡った後藤はスターリンの一国共産主義を支援した、と聞く。
昭和十五(一九四〇)年のメキシコにおけるトロツキーの“明殺”の謀主は、ソ連を追放される形でメキシコに亡命していた佐野碩とされるが、後藤新平の孫で、後藤に命によりソ連入りした佐野碩が、当時ソ連で生存していた後藤の指示を受けたとみるのが合理的である。
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