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〔50〕白頭狸の時務随想 南朝の因縁

〔50〕白頭狸の時務随想 南朝皇統の因縁話
 本日は井口三代子の命日であります。三代子は父井口幸一郎の後妻で白頭狸とは養子縁組していなかった人です。
 白頭狸の亡母井口藤子の従妹にあたる三代子の生母は阪口コツルといい、藤子の義叔母で、少女時代に娘義太夫をしていたところ四天王寺周辺の大地主で室町時代の豪商天王寺屋の分流米谷家の当主の子を産みました。
 米谷家の庶子として米谷家の籍に入った三代子は、当主が正妻を迎えるにあたり米谷家を出されて生母阪口コツルの養子になりました。
 実父の庶子から生母の養子になった三代子はその間の事情を知らず、コツルの他界後は天涯孤独と信じ込んでいましたが、実は米谷家に数人の甥姪がいたほか、実母コツルが再嫁した和歌山市の資産家前田某の男子を、離婚の際に養子にしていました。これは素封家が財産の分散を避ける主旨でしばしば行う手口だそうです。
 米谷家の甥姪のことも前田家の義兄のことも聞いたことのない三代子は、七歳上の夫幸一郎よりも前に自分が没するとは考えず、養老資金を自分名義の預金にしていましたが、豈図らんや夫を遺して三代子が逝ったのは平成十七(2005)年のことです。
 父の依頼を受けて預金の名義を三代子から父に変えようとした白頭狸は、米谷家や前田家に思いもかけなかった相続人が存在することを知り驚愕しましたが、たまたまその経緯を國體舎人に洩らしたところ、いたく感嘆した舎人が、「すこぶる奇異のこと哉。楠木正成が後醍醐天皇から賜りし天王寺を受け継ぐ米谷氏の娘が護良親王の血を引く紀州井口氏に嫁ぐとは、何という奇しき因縁!」と口にしたのです。
 國體歴史の研究上で聖徳太子の重要性を悟り、太子が本邦に招来された大乗仏教は小乗仏教とマニ思想の融合との信念を固めた白頭狸が、旧知の東光院智應大僧正から中論宗の得度を受けたのは、くだんの因縁に感動してから一年後の平成十八(2006)年のことです。
 智應大僧正は明治維新により荒陵山四箇院天王寺(いわゆる四天王寺)の塔頭有栖山清水寺の住職に任じられた建代家の嫡出で、因州鳥取三十一万五千石の池田家の血を引いています。
 楠木正成の長男正行の子の池田教正から楠木流池田となった家系から出たのが因州池田氏と備前池田氏ですから、遡れば楠木正成に至る建代家が、明治維新に際して四天王寺を任されたのです。

 その建代智應大僧正から得度を受け、当初南光房爾應の法号を賜った白頭狸は、さる三月一日を以て天台座主大樹孝啓猊下から南光院長臈爾應法師の法号を賜りました。
 以上、後醍醐天皇、護良親王、井口幸一郎、白頭狸と楠木正成、池田教正を巡る一巻の因縁話でございます。

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