忘れえぬ人々 2 近所のM君
私が7歳くらいの時のこと。母が近所のM君の家へお茶しに行くというのでお供をしました。M君は同級生でしたが、口をきいたこともありません。親同士は楽しそうに話をしていても、子ども同士は退屈で、私は先に帰りました。
ある日、道の角でM君と出会い、同じ方へ曲がりました。しばらく並んで歩いていると、突然M君が殴りかかってきたのです。とても驚きました。お腹や腕を殴られ苦しかったですが、どうにか走って逃げました。
母に話すと、娘が殴られたのに怒り出すわけでもなく、少し考えてから「M君のお父さんは時々暴れるらしいよ。」と言いました。母が何を伝えたかったのかよくわかりませんでした。その後のM君のことは思い出せません。多分、避けて過ごしたのでしょう。
後日、母は「M君のお父さんは、シベリアに抑留され、収容所で仲間が寒さと飢えで死んでゆく中、点呼の時、凍った鮭を服の下に隠して食料にして生き延びたそうだよ。」と話していました。
昭和20年代(1950年代)生まれの私たちは、知らず知らずのうちに敗戦の影響を色濃く受けながら、子ども時代を過ごして大人になりました。それに気づくのは随分と後のことになります。