思想家と大学教授
以前、『大学教授にまつわる夏目漱石の記述』を有料記事で書きましたが、今日は、思想家(哲学者)と大学教授(哲学研究者)の差異について論じてみたいと思います。
先述の有料記事のなかで、夏目漱石は徹底的に大学教授に反発をあらわにしています。
例えば、『野分』のなかに次のような一節があります。
「足立か、うん、大学教授だね」
「そう、あなたのように高くばかり構えていらっしゃるから人に嫌われるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」
文学者・白井道也と妻のやり取りです。白井道也は漱石の代弁者、妻は常識の代弁者と言えるでしょう。白井道也は一介の庶民に過ぎず、世間の尊敬を集めるのは大学教授のほうでしょう。それにも関わらず、夏目漱石は、大学教授をあたかも侮蔑するかのような記述をします。例えば、
「私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどのつまりを言えば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。」
漱石は『こころ』のなかでこのような記述もしているのです。このことにはどんな意味合いがあるのでしょうか。
故・池田晶子のエッセイのなかに、「『本物』は自分で考える人」(『私とは何か』所収)というエッセイがあります。その一部を引用してみましょう。
「『本物の哲学者』というのは、逆説めくが『哲学』なしでも考えられる人だ。テキストなしでも、自力でどこまでも考えを推進していける人。哲学書などは参考意見にすぎない。」
哲学というと、大学で難解な書物を読解している風景が目に浮かびますが、池田は、「本物の哲学者」はそうではないと述べます。「本物の哲学者」は「自分で考える人」と定めています。
この点について、示唆に富んだ文章が、『野分』の他の箇所に見られます。
「『だってそうじゃありませんか。文学はほかの学問とは違うのです』と道也先生は凛然と云い放った。(中略)『ほかの学問はですね。その学問や、その学問の研究を阻害するものが敵である。たとえば貧とか、多忙とか、圧迫とか、不幸とか、悲惨な事情とか、不和とか、喧嘩ですね。これがあると学問が出来ない。だからなるべくこれを避けて時と心の余裕を得ようとする。文学者も今まではやはりそう云う了見でいたのです。そういう了見どころではない。あらゆる学問のうちで、文学者が一番呑気な閑日月がなくてはならん様に思われていた。可笑しいのは当人自身までがその気でいた。然しそれは間違です。文学は人生その物である。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものは即ち文学で、それ等を嘗め得たものが文学者である。文学者と云うのは原稿用紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねっている様な閑人じゃありません。円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。その取り捌き方や感得し具合を紙に写したのが文学書になるのです。だから書物は読まないでも実際その事にあたれば立派な文学者です。従ってほかの学問が出来る限り研究を妨害する事物を避けて、次第に人世に遠かるに引き易えて文学者はこの障害のなかに飛び込むのであります』」
哲学あるいは文学というのは、人類の懊悩や苦悩から産まれたと言っても過言ではありません。その懊悩や苦悩を自ら経験し、自らの思想を創り上げる人を「本物の思想家・哲学者」と言うのでしょう。いっぽうで、古人の書物を読んでも、自らはそのような苦境に入らない人は、哲学研究者・大学教授となるのです。
漱石は『野分』で、さらに言います。
「『わたしも、あなた位の時には、ここまでとは考えていなかった。然し世の中の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇や孔子ばかりで、吾々文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気に暮して行けばいいのだなどと考えているのは偽文学者ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです』」
思想家と大学教授の対比をもっとも簡潔に表した文章が、ショーペンハウエルの『思索』のなかにあります。
「学者とは書物を読破した人。思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである。」
「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。」
私は、ショーペンハウエルのまとめ方が分かりやすいと思いました。もし、思想家の方が偉大だとしても、同時代の尊敬や栄誉を受けるのは「大学の先生」ですから、少年少女には、思想家ではなく「大学の先生」のほうを私は勧めます。