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最明寺・北条時頼の桃源郷
最明寺史跡公園は、神奈川西部の松田町の北、500mほどの山の頂上近くにある。ここには承久三年(1221)に建てられた最明寺(さいみょうじ)があった。承久三年といえば承久の乱の年。吾妻鏡にある、京方との戦に際して箱根足柄で迎え撃つか進撃するかで紛糾した話を思い出す。東海道を抑え酒匂川を見下ろすこの地は、いざとなれば京との戦に備えた城として、義時か泰時が建てさせたのじゃないだろうか。この地を選んだのは伊豆山神社の源延。頼朝を挙兵から支えた加藤氏の出で、幕府とはつながりが深い人物だった。
また北条時頼はこの最明寺に荘園を寄進している。最明寺といえば北条時頼が晩年を過ごした寺で、北鎌倉明月院近くにあったとされる。晩年の時頼は最明寺殿と呼ばれた。松田の最明寺のほうが古いので、その名にあやかったとも考えられる。きっと時頼はこの地をおとずれ禅の修行をしたこともあったのだろうと思える。
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松田の最明寺は室町時代までは栄えたが応仁の乱の頃は衰え、ふもとに移されて続き、今も北条氏の三鱗紋がみられる。時頼の胸中には、東西を見下ろし清浄な気の満ちるこんな風景があったのかもとも思う。
松田の最明寺には善光寺(ぜんこうじ)如来がまつられた。鎌倉の最明寺は時頼の持仏堂として建てられたが、子の時宗の代に禅興寺(ぜんこうじ)として再興された。この(ぜんこうじ)つながりは偶然だろうか。時頼は禅一色のように思われているけれど、善光寺信仰も持っていたのでは?
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