円覚寺の洪鐘祭、60年振りに開催。
洪鐘祭とは何だろう。江戸時代の新編相模国風土記稿によれば、北条貞時が鐘の鋳造を発願したがうまく行かず、2度失敗した。貞時は渡来の禅僧の教えを受けて江ノ島の江島神社(弁才天)に参籠した。すると夢のお告げをうけ、それに従い円覚寺の池の底を漁ると、龍の頭のような金属を発見した。これを基に鋳造すると洪鐘が完成した。貞時は江ノ島から弁才天像を円覚寺に勧進し、洪鐘の真体とした。それから60年ごとに祭りを開催するようになったという。
一見おとぎ話のような話だけれど、弁才天は本来河川の神サラスワティーの変化したもの。江の島近くにそそぐ境川、柏尾川は暴れ川で、江の島弁才天は川を鎮める意図から勧請された面があると思われる。その柏尾川上流の今は横浜市栄区、金沢区のあたりは奈良時代から製鉄の行われた土地で、遺跡や鉄にちなむ地名が残っている。一帯には山ノ内(やまのうち)の地名があるが、関係あるかどうかは不明だが山内(さんない)はもののけ姫に描かれたようなたたら場集落を意味する。
ということを考えると、何やらただのおとぎ話ではないように思えてくる。貞時の頃、鐘の鋳造がうまくいかないので、古くからの土地の鉄材料や技術を取り入れたらうまくいった、そんな話が底流にあるんじゃないだろうか。当時禅宗寺院はまだ庶民とは縁遠かったけれど、自然の平穏はみな共通の願い。外来宗教も土着のものも身分によらずみな一緒に世の安寧を願おうや、なんて願いがこめられているように思える。
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