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映画『メッセージ』(2016年) とドゥニ・ヴィルヌーヴ監督について

この作品がSF映画として傑作であるのは周知の事ですが、ひとつ気になる事があるので書いておきます。
それは本作の監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴについてです。

この映画には原作の小説があり、脚本化が仕上がった後でドゥニ・ヴィルヌーヴに監督の依頼があったという流れだったそうです。原作を読んでも映画のストーリー的にも、本作は監督が違えば全く違う風合いの作品になったであろう事が予測できる作品であり、それが独特のトーンを持つ作品に仕上がった事は、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のセンスが高く評価される所だと思います。

そしてドゥニ・ヴィルヌーヴ監督といえば、本作の直後に『ブレードランナー 2049』(2017年) を監督し、不評を買った人でもあります。さらに『DUNE/デューン 砂の惑星』(2021年) 監督とSF作品が続いています。『砂の惑星』は興行面・評価面両方で成功したようですが、私は個人的につまらなくて冒頭で観るのをやめてしまいました。

『メッセージ』の成功によって、この監督はSF作品が引き続いているように見受けられますが、私はその事自体に疑問があります。「メッセージ」という作品はSF映画としては革命性があり、既存のSF映画を否定する側面を持っているからです。その監督をした人が、なぜその後アクションハードSF映画(ブレードランナー2049)やスペースオペラ(砂の惑星)といった、古いタイプのSF映画を撮るのか?それは矛盾ではないか?と思うのです。

『メッセージ』のSF映画としての革命性とは、今までのSF映画においての主要人物といえる軍人、物理学者、及び男性性を無力化し「言語学者の女性」に勝利を与えたという点にあります。宇宙人とのファーストコンタクトにおいて、腕力を含めたあらゆる物理力が意味を成さなかったというのが本作の象徴的な意味合いでした。

左から物理学者、言語学者、軍人。

これは、今までのSF映画のあり方を茶化したという事にもなりますから、なぜその監督が本作の後に既存感のあるSF映画に手を出すのかが不可解です。
この事から、ドゥニ・ヴィルヌーヴという人は実はSF音痴で、自分が監督した『メッセージ』という作品について、それがSF映画としてどのような位置付けになるのかという事の造詣も持っていなかったというように推察されます。脇役としての軍人や物理学者(またそれに加えて男性的な国家的知性も) か陳腐化されたのは、あくまで原作小説や脚本におけるイノベーションであって、監督の造詣にそんなものがあったわけではなかったという事でしょう。
『ブレードランナー2049』が驚くほどつまらなかったのもこれで納得できますね。ですから『メッセージ』という作品が成功したのは、このように偶然やビギナーズラックが絡んだ結果なんだというように受け止められます。

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