生活訓練は辛いぜ

 昨年の夏2ヶ月半、精神病院の閉鎖病棟に入院していたことは前述の通りである。入院先の医師、ソーシャルワーカーから「家族から離れて生活した方が良い。今(入院時)はこのような状態で済んでいるが、家族の元へ戻るともっと体調が悪くなり、また入院をよぎなくされる。」と言われた。
 実際、お見舞いに来てくれた父、母からとは、わずか15分の面会で、いつも喧嘩になっていた。私の病気を理解しきれなかったのと、認めたくない気持ちがあったし、入院だって渋々だったのだから。

 当時の支援者と病院に紹介されたのが、今いる住まいである。つまり、宿泊型生活訓練施設というところである。ここは終の住処ではない。2年という期限付きだ。その期限が終わった後、次のステップに進まなければならない。障害の程度に応じて、グループホーム、一人暮らし、実家へ帰って家族と生活するなどという目標がある。もちろん、食べていかなければならないので、作業所、一般企業への就職なども選択していかなければならない。

 私の目標は、企業への就職、一人暮らしである。
それを実現させるためには、発達障害特有の「苦手」を克服することである。私の場合は、金銭管理、整理整頓である。
その他にも、様々なことを指摘される。
 例えば、私の支援者に対する態度だったり、言葉遣いだったりする。
これを指摘されると結構グサッとくるが、的を得ているので反発はできない。
 「私は、『人間力』すら低くなっていたんだな。どこかで傲慢になっていた。」ということを嫌でも気づかされる。

 正直、私くらいの年齢になると誰も本気になって叱ってくれない。私だってムッとすることがあっても、角が立つのが嫌だし、ま、いっか。と心にしまってしまう。
 ここに来て7ヶ月。お世話になっていることに感謝しつつ、なんて言っていたが、どこか相手に対して「甘え」が生じてしまった。

 人を思いやる気持ちが知らず、知らずのうちに欠如してしまっていたのだろう。欠点を指摘されると誰でも正直、頭にくるし、認めたくない。

 生活訓練施設は、家ではなく生活そのものが「訓練」なのだ。その訓練にストレスはつきものだし、障害の程度関係なく、女性同士の関係は、難しいと思い知らされている。

 私自身いかに、ぬるま湯の中でぬくぬくと守られて生活してきたのか、ここにきて思い知らされている。やること全てが「訓練」なのである。
 人生において知らぬ人々と生活し、「訓練」を受けていくことはそうそうない貴重な経験になると思う。だから、厳しいことを言われても、間違いを指摘されても、それを真摯に受け止めて「成長」していきたい。
 そしてここを出るときに「有り難うございました!」と笑顔で、感謝の言葉を伝えられる自分でいたい。

 明日からまた気持ちを切り替えていこう。
 
 支援者の皆様、本当に少ない人数の中、私の話を聞いてくださって有り難うございます。その働きに頭が下がる思いです。感謝の気持ちをこめて。



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