相反する気持ちが存在している
わたしは目立つのが嫌い。それは小さいころからそうだったと記憶している。
なぜ目立つのが嫌いなのか。それは、たくさんの目が一斉にこちらに向くのが怖いから。
でもそれは、不特定多数の大勢にかぎる。慣れている環境であれば、10名程度に見られるのはそう怖くもない。
それなのになぜわたしは、noteで記事を更新しているのだろう??目に慣れる訓練かな?書くのが好きだから?
ウンウンと頭を考えでいっぱいにしていると、ふと思い出したことがある。
高校二年生のころわたしは演劇部に入っていた。それなのになぜか、二年のときと三年のときの学園祭と舞台際で、演劇ではなくダンスを披露することになったのだ。
いまとなっては明確な理由を思い出せない。
先輩たちが引退し部員が少なくいまにも廃部になりそうな部だったから、たくさんの後輩たちに入部してほしい意図で演目がダンスになったような記憶だが……。
この時点でわたしおかしなことしてるなと気づきく。
小さいころから目立つのが嫌いだといっていたのに、なぜわざわざ舞台に立って演技する演劇部になんて入ったのか。
青春のイメージが強かったのかな?笑。
とにもかくにも、舞台際なんて大勢の目が一気にこっちを向く。ほかのメンバーもいて一人じゃないし、なんか楽しそうだし、ま、いっか!的な能天気さだったのかもしれない。
でもね、本番当日、だれよりもキレッキレに踊ってて一番目立ってたし一番カッコよかったと会う友だち会う友だちにいわれ、「なぜわたしは全力で楽しく踊ってしまったんだ」と顔を真っ赤にして自分を呪った。
さらに遡ると、中学校であった体育の授業で、グループにわかれ創作ダンスを披露するという課題があった。
グループのみんなで選曲し、振りつけまで考える。
わたしのグループが選曲したのはちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」で、おもしろカッコいい振りつけを考え、賞をもらった。
また中学の文化祭だったと思うが、ならったこともないし興味すらなかった琉舞を「nontaroなら大丈夫よ〜」となんの根拠もないのに友だちにおだてられ木にのぼり、師範並みの腕前を持つ体育の女教師に指導され、子どものころから琉舞をならっている友だちにならい、一緒に舞台に立ったこともある。
いま思い返せば、目立ちたくはないが、唯一の自己表現方法が踊るということだったのだろう。そして「踊る」ことが好きで惹かれること。
目立ちたくない、と、目立ちたいって表裏一体で、見ないで、という気持ちと、わたしを見て、の両方を人は持っているのではないか?
ただ自己表現方法が「踊る」ことから、「書く」ことに変わっただけかもしれない。
だから目立ちたくはないけれど書きたくて、でも怖いから「だれも見てない」の魔法の言葉を自分にかけつつnoteを投稿し、見られてスキももらえて「キャッ」となるって、もはや変態でしかない。
そうか、わたしってば変態だったのか。
若いころは本当にダンスや踊ることが好きだった。
過去のあの舞台での気持ちよさを思い出してはクラブで友だちとよく踊っていたのを思い出した、中年になったある日のできごと。
YouTubeで、ダイエットにもなるダンスが流行っていたことがあるのを、覚えている人も少なくないだろう。
このダンス、めっちゃきついのだけど、踊っていると気持ちよくて楽し~のだ。
テレビに飛ばしわたしが踊っていると、子どもたちが爆笑しながら一緒に踊りはじめる。子どもも「きつ~~い」と倒れるほどのハードさだ。
わたしは踊りまくっていたあのころを思い出し、あのころよりも10キロ増えた体重のことなど忘れ気持ちはキレッキレだが、現実ではドスドスと床が悲鳴をあげる。
悲しいかな。これをやりはじめて三日目、わたしの両ひざは壊れた。
強烈なひざの痛みで目を覚ます。あまりの痛みで立ち上がるのも一苦労。少し動きだせば、ひざがあたたまってなんとか歩けるまでになる。
でもその速度たるや、カタツムリより速いけど興奮したカブトムシよりは遅い老人型ロボットわしも並みだったのだ。(アニメのわしも知ってる?)
三日目で壊れたひざは、完治するまでに倍以上の時間がかかったのはいうまでもない。それ以来、わたしは踊るのをきっぱりとやめたのである。
目立つのが嫌いという話から、本当は目立つの好きなんじゃない?って思われそうな内容になってしまったのだが、本当に目立つのが嫌いなのだということを声を大にしていいたい。
そしてたぶん、変態なのだと思う。
Reveng Day66クリア
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