『エイリアン:ロムルス』シリーズ全体への愛にあふれた原点回帰
■フェデ・アルバレス監督は完全なエイリアン・マニアである。perfect organismならぬperfect alian maniaだ。
その確信にあふれた愛が不朽のSFホラー『エイリアン』の再構築を実現させ、’あなたの悲鳴は誰にも聞こえない’ 宇宙での恐怖の世界に再び僕らを突き落とす。
■リドリー・スコットがデビュー2作目で撮った『エイリアン』(79)は、暗闇と薄い光と水と蒸気の世界という彼の独特の映像世界が新しいSF表現を打ち立て、ダン・オバノンの超絶構想をもとに徹底的に練られた完璧なシナリオ、H・R・ギーガーの生み出した唯一無二の悪夢世界、ジェリー・ゴールドスミスの抑えることで緊張感を生み出す音楽、緩急のスピード・リズムが気持ちいい編集、シガニー・ウィーバーが見せる生き抜く者の瞳の力、などなど、さまざまな完璧が重なり合うことで生まれた奇跡だと思う。
僕は、好きな映画を3本選べ、と言われたら迷わず『エイリアン』を入れることにしている。
『エイリアン』シリーズに関わった監督たちも、だぶんきっとそうだろう。
■だからこそ、第一作と同じテーマ、同じ表現で『エイリアン』を撮ることは出来なかった。
『エイリアン2』(86、ジェームズ・キャメロン)は「今度は戦争だ」で戦争映画のかたちを取りつつ母性対決を描いたし、『エイリアン3』(92、デヴィッド・フィンチャー)は酷い条件のなかで見事なゴシック世界を展開したし、『エイリアン4』(97、ジャン=ピエール・ジュネ)はクリーチャーとしてのエイリアンのバリエーション展開のイメージを膨らませた。
表現者として同じものを撮るつもりなない。という当然の主張の背後に、第一作の流れのなかで撮ったとしても、どんなに頑張ろうとも『エイリアン』を超えることは出来ない、という気持ちも確実にあったのだと思う。
リドリー・スコットでさえ、同じ流れで撮ろうとしてもどんなに最新の技術を駆使しようとも劣化版にしかなりえない、奇跡に二度はない、ということが分かっているから、『プロメテウス』(12)では人類創生とエンジニアを、『エイリアン:コヴェナント』(17)では人類の後継者としてのアンドロイドを描くことでエイリアンの世界を大きく広げ、僕らの時間と空間と進化の感覚を更新してみせた。
■フェデ・アルバレスは、その意味で今回、誰もが避けてきた恐ろしいことに手を出した、ということになる。
しかも、描くのは『エイリアン』と『エイリアン2』の間に起きる物語。ど真ん中ストレート。
そしてその剛速球は見事に僕らの胸を打ち抜くことに成功している。
正直、『ドント・ブリーズ』は面白かったけど、表現にアラが目立ってそこまで没入できなかったから心配していたし、事前情報を避けようとしてても目に入ってくるネットニュースのリード文にネガティブなものが散見されていたから、期待半分不信感半分で劇場に向かったのだけれど、却ってそれが良かったのかもしれない。
■ネタバレになるので詳しくは書かないけれども、『エイリアン』、『エイリアン2』を中心に、『3』、『4』のオマージュも混ぜながら、『プロメテウス』『コヴェナント』風味をたっぷり添えて、のファン大満足の作品になっている。(水飲み鳥が映った瞬間に、ああ大丈夫!と確信した)
ストーリーは『エイリアン』の道筋をたどるもので、第一作を何度も観て、シリーズ作品もしっかり観ているファンにとっては、先が読める展開になっている。
それでも怖い。
■お化け屋敷、という意見もあるのだけれど、その通りで、ちょっと表現がお化け屋敷過ぎの1シーンもありご愛敬ではあるものの、そもそも『エイリアン』の第一作ってビックリさせる映画だったのだから、それは当然の帰結。
フェイスハガーの初出のシーンにしろ、チェストバスターのシーン(役者にも何が起きるか教えてなかった(笑))にしろ、ジョーンズを探しに行くシーンにしろ、思わずお漏らしをしてしまうかも、というレベルのビックリ度合。
前振りから入念に雰囲気を作り上げ一気に来るやつ。
来るぞ来るぞ、と分かっていてもやっぱり驚いてしまう感じ。
それがしっかり出来てる。
だから、先が読めていても油断が出来ない。
やっぱり、と思いながらも全力で驚いている自分がいる。
これがオリジナルの怖さ。
それが再現出来るフェデ・アルバレスの才能がすごい。
■それでいて、オリジナルの完全コピーかというとさにあらず。
主人公のレイン(ケイリー・スピニー)は第一作のリプリー(シガニー・ウィーバー)をトレースするのだけれど、弟でアンドロイドのアンディ(そういうことか!)(デヴィッド・ジョンソン)の人物造形が独特の味わいを加え、それが効いている。
シリーズ全体でもアンドロイドはそれぞれの作品のテーマの根幹に関わる重要な役どころを演じてきたし、今回もその範疇のなかでうまく練ったキャラクターといえるのだけれど、大事なのはオンボロの方であって、それが【完全な生命体】(エイリアン/ゼノモーフやアンドロイド)との対比として、ドラマの構造として、強く機能している。
アンディがオンボロで役に立たないけれど、ではなく、役に立たないとかそういうことは関係なく大事なんだ、というレインのアンディの関係性とこころの動き、『エイリアン・ロムルス』のテーマはそこにある。
■『ドント・ブリーズ』もそうだったけれど、人物造形を印象付ける作業を抜かりなくやるところがフェデ・アルバレス監督の美徳な気がする。
ちょっと導入がだるく感じる面もあるのだけれど、そこを急がない、人物をしっかりと観る者の中に作ろうとする努力を惜しまない姿勢、昨今の倍速で映画鑑賞!みたいな時代に抗う姿勢、そこに好感が持てるし、今回の『エイリアン ロムルス』ではそれが成功していると思う。
■『エイリアン・ロムルス』は『エイリアン』という奇跡的な映画を再現するという意味で、単独でも十分に堪能できる映画だけれど、45年来のファンにとっては宝箱のような作品だ。
純粋に楽しめた。
設定資料が出たら絶対買おう!(笑)
だって、長年疑問だったチェストバスターからビッグチャップへの短期間超成長の様子を描いてくれたんだものね♪
<2024.09.19記>
2024年9月公開
監督 フェデ・アルバレス 制作 リドリー・スコット
出演 ケイリー・スピーニー/デヴィッド・ジョンソン