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⑫子どもと海外で暮らす(小学校篇)



 

小学生を連れてミュンヘンで暮らすことに


 娘が小学校二年生になる春、夫が研究のため一年間ドイツのミュンヘンに滞在することになったため、私と娘も一緒に行くことになりました。私は、外国旅行はそれまでに何回か経験していましたが、「暮らす」のは初めて。娘に至っては、国外に旅行に行ったことすらなく、いきなり「暮らす」ためにドイツに行くことになりました。

 夫は独身時代に何度かドイツに留学経験を持っていましたので、ドイツ語が話せます。しかし、私と娘は、挨拶程度しかドイツ語を覚えていない状態で、いきなりドイツでの生活を始めるのです。小学生の子どもを連れて、いったい海外生活ができるのか? まずは住居を探すために、夫が先に渡独。仕事の利便性と娘の生活のために、せっかくならと旧市街の近くの比較的都心に近いマンションに大学の紹介で住まいを決めて、一旦帰国しました。

海外生活の「学校問題」

 ヨーロッパの大都市にはたいてい日本人学校があります。娘を日本人学校に入れるか、現地校に通わせるか。ここでも、「学校問題」が私たちを悩ませました。夫が短期滞在で下見したとき、現地の日本人学校を見に行きましたが、あまり気に入らなかったとのこと。そこで、どうせドイツで生活するのだから、思い切って現地校に入れたら、ということになりました。本人は何も知らないので、初めての外国暮らしにワクワクしていました。絵本の中に見るヨーロッパに憧れがあったのでしよう。と、同時に、本来新しいことが苦手で引っ込み思案な彼女は、ドイツの学校がどんなところか、不安な気持ちも抱えていたに違いありません。夫が現地校と話し合って、娘は日本で一年生を終えていましたが、ドイツ語の読み書きができないので、小学校一年生のクラスに入れてもらうことになりました。

前途多難な学校生活がスタート

 最初の日から、彼女の不安は的中してしまいます。初日だけでも娘に付き添わせてほしいと、夫が校長先生に求めましたが、「みんな、ひとりで来ているのですから」と断られました。私たちが住んでいた地区は街の中心部で外国人が少なく、学年に数人のトルコと東欧からの子がいる他はすべてドイツの子どもたちでした。彼らから見たら、どんなに「東洋の果てから来た子」が珍しかったでしょう。娘は初日からクラスメイトに囲まれて質問攻めにあったようです。しかも全くわからない言語で、ということですから、「ドイツ人、こわい」と言って青い顔をして帰ってきました。

 こうして、娘の現地校での生活が始まりました。担任の先生も、英語も話せない娘とのコミュニケーションに困ったのでしょう。どうやら、教室で放っておかれたようです。それでも、算数の時間などは日本の小学校ですでに習っていますから、参加できます(ドイツ語で100までの数字は、覚えて行きました)。そういう自分にもできることを少しずつ、少しずつ増やしながら教室にいたのでしょう。親から離れてひとりぼっちで。

娘のストレスが爆発

 学校に通いだしてしばらくした頃、夜、娘が体中がかゆいと言って、なかなか眠れない日が続きました。おそらく、周囲に自分の言いたいことが言えない、というストレスが身体に蓄積して、症状となって現れたのだと思います。ドイツ語の相手の言っていることもわからない。子どもですから、どんなに今の状況が大変かうまく言葉にして親に訴えることもできない。今でも、あの頃娘がどんなにつらかったか、想像すると胸が苦しくなります。

 毎晩娘の苦しさにつきあいながら、私は、日本人学校に転校させるか、さもなければ、私と娘だけでも日本に帰国することを考え始めました。日本にいる私の母からは、孫が心配なあまり「早く帰ってきなさい」と矢のような催促です。

帰国するか残るかの選択

 けれども、夫は、帰国には反対でした。「ここで帰ってしまったら、外国が辛いだけの場所になってしまう。もう少しだけ、がんばらせてみよう」というのが、彼の意見でした。せめて夏まで。夏休みが終わると秋からは学年が上がり、担任の先生が変わります。そうしたら、事態が好転するかもしれない、と夫から説得されました。

 こうした孤独な生活の中で彼女を救ってくれたのが、バレエです。

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