④子どものことばとの出会い、つきあい方
前の章で書きましたが、とにかく娘には新生児のときからできるだけ話しかけていました。そして毎日の絵本と歌の時間。そのおかげか、娘が言葉を覚え話すスピートは早かったように思います。子どもによって成長するスピードはそれぞれですから、早ければ良い、と一概に言えませんが、言葉を覚え、それを使いこなしていくさまを見るのは、親としてとても楽しいものです。
娘が最初に覚えた言葉は、残念ながら「ママ」でも「パパ」でもありませんでした。子どもは生まれ落ちた瞬間から、親の大きすぎる期待を裏切るようにできているのかもしれませんね。とにかく、彼女がまっさきに話した言葉は「ルー」でした。「ルー」は当時うちで飼っていたアメリカンショートヘアの猫の名前です。シルバータビーの大きな美しい猫でした。体と同じように心もおおらかで、突然の闖入者である赤ちゃんにも鷹揚に接し、たとえヒゲを引っ張られてもじっと我慢するような子でした。いつもなんとなく娘のまわりをうろうろし、たまには娘の足元に寝ることもありました。そのもっとも身近な相棒の名前「ルー」。子どもに発音しやすい音だったこともあったでしょう。ところが、娘は他のものを指差しても、「ルー」としきりに言うことに気づきました。観察していると、本物のルーだけでなく、どうやら毛むくじゃらの四足のものをすべて彼女は「ルー」と呼んでいます。散歩の途中出会った犬を指差して「ルー」、クマのぬいぐるみを指差して「ルー」、絵本に出てくるサルの写真を見ても「ルー」。その様子があまりにもかわいいのでしばらくはそのままにしていましたが、そのうちに、いつも散歩で会う犬を「ほら、あれはワンワンでしょ」などと、余計なことを教えたくなります。これを繰り返していくうちに、娘は道でお馴染みの犬に会うと「ワンワン!」と言うようになりました。こうやって、人は言葉を覚え、世界を分節化していくのね、とあらためて実体験したわけです。
子どもがひとりだったこともあり、私と夫は日常的に、娘にいわゆる赤ちゃん言葉で話しかけていませんでした。「ワンワン」くらいのことは言っていましたが、子どもらしい言い回しを、娘のために特別にするという気は遣っていなかったと思います。家族3人で食卓を囲んでいるときも、子ども用に話題を手加減していたという感覚はありません。自分たちの専門分野の話をはじめ、そのときの時事問題など、到底小さな子どもには理解できないだろうことでも、結構話題にしていました。もちろん、彼女を主役にした話題(保育園であったこと、新しく覚えた歌など)も楽しい中心の話題でありましたが。けれど、大人の会話も同時に遠慮なく子どもの前でしていたように思います。
そのせいか、保育園を終える頃には、「すなわち」とか「いわゆる」とか「たしかに」などと、およそ子どもらしくない言い回し(しかし私たち親が頻繁に使う表現)を会話に混ぜる不思議な子どもになりました。彼女がどれくらいそれらの表現の意味を理解していたのかは怪しいです。が、それでいいのだ、と思っていました。なんだか意味が分からないけど知っている言葉を、感覚的に使ってみる。そのうち成長してきて、「ああ、これはこういう意味だったのか」と納得するという経験を、私たちもかつてした覚えがあったのですから。
もうひとつ、面白いエピソードがあります。子どもが生まれたとき、夫と私は、お互いを「ママ」、「パパ」と呼ばないようにしようと決めていました。私は夫に、「私はあなたのママではないわ」などと笑いながら話していました。日本語では、家族の一番年下の人から見た呼称を、家族全員が使う習慣がありますよね。子どもが生まれれば、私は「ママ」と他の家族からも呼ばれ、私の母は自動的に「おばあちゃん」と呼ばれるようになる。それが日本語の「当たり前」ですが、どうにも私には居心地が悪い。特に夫のことを直接「パパ」とは決して呼びたくない。そこで私は、夫のことを娘の前でも名前で、たとえば「一郎さん(仮名です)」と呼んでいました。あるとき、娘が、保育園に迎えに来た自分の父(私の夫)に向かって、大声で「一郎さーん!」と呼びかけ、その声が園庭に響き渡りました。他のお母さんたちから、「まあ、恋人同士みたいね!」とからかわれ、夫はバツの悪い思いをしたそうですが、子どもに対しても、家族が役割名で呼ばれるのではなく、ひとりの人として呼ばれるということを身をもって体験してもらいたいという思いがありました。もっとも、子どもといえど、社会的な存在ですから、成長にしたがって友人や先生に家族のことを話すとき、その場にふさわしいアレンジを加えていくようになりました。友人に対して「うちのママがね」という時期が過ぎると、いつの間にか「うちのお母さんが」と言っている。最近では、「うちの母親がさあ」と電話で話しているのを傍で聞くと、多少複雑です。でも、それも、成長です。
ちなみに、娘は、私の兄の妻も、夫の兄弟、それぞれのつれあいも、基本的に「〇〇さん」と呼んでいます。親戚の人数が単に多いということもありますが、名前で呼ぶ、呼ばれることにお互いに違和感はありません。名前はアイデンティティーそのものですから、それもまた良いのでは、と思っています。
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