ひとり娘の育て方〜バレリーナから東大〜①
はじめに
以前勤務していた女子高の校長室で、校長先生と向かい合ってお話していたときのことです。その日は、もうすぐ退職するという時期で、その学校の生徒達の様子や今後の学校のあり方などについて、感じたことをとりとめもなくお話していました。突然、校長先生が私に向かっておっしゃったのです。
「先生、今度、先生の教育方針について、本校の保護者の前でおはなしいただけませんか。」
私は校長先生が、「教師としての教育方針」について話してほしいとおっしゃっていると思い、一瞬不思議に思いました。私はといえば、大学院生から高校生までいろいろな相手に教えてきた経験があるとはいえ、どれも非常勤で、それこそ何十年も高校教師一筋の道を歩いてこられた校長先生に比べれば、とてもおこがましくて「教師としての教育方針」など語れる立場ではなかったからです。私の戸惑った表情を見て、校長先生は少し笑いながら言われました。
「先生の、保護者としての教育方針をお聞かせいただきたいのです。」と前置きをして、「本校の保護者のみなさんが、お嬢さんたちの育て方に非常に迷いを持っておられることを、いろいろな場面で感じます。保護者会や懇談会で、実際に相談が持ち込まれることもしばしばです。ですから、先生のご経験からお考えをぜひシェアしていただきたいのです。」
「いえいえ、私など、とんでもない。娘をひとり育てただけですから。」と、恐縮して言うのがやっとでした。
けれども、その後もなぜか、同じようなお話を聞くことがつづきました。たとえば、行きつけの美容院で、その日シャンプーを担当してくだっさった美容師さんとなんとなく話していると、たまたま三人のお嬢さんを子育て中ということが分かりました。すると、どういうきっかけか、いつの間にか子育ての悩みをつらつらとお話になります。お嬢さんの学校選びや、習い事、叱り方、次から次へと出てきます。ついには話に夢中になり、髪の毛を乾かし終わってもまだお話が続くということも。先の見えない時代に、子どもをどう育てたらいいのか、本当に悩まれている方が多いのだなあと実感するできごとでした。
私は三十代の初めに娘を産みました。東京の大学に地方から入学し、卒業後、大学院の博士後期課程を終えるまで、ほぼ十年を大学の学生として過ごしながら、修士課程の途中から教員として教えていました。最初は高校国語科の非常勤講師として。博士課程に入ってからは大学や短大でも、留学生に日本語を教えたり、日本近代文学の講義や演習を受け持ったりしていました。教える対象はもちろん、男子学生も女子学生もいました。研究者として大学に職を得ることが目標でしたので、学生と教職との両立はかなりハードでしたが充実した日々だったと思います。
その勢いのまま、結婚、出産を迎えたわけですが、何も知らなかった当時の私は、子どもが生まれても私の人生は同じペースで刻んでいけると信じていました。今思えば「甘かった」というほかはないのですが。夫の勤務地の都合で東京の職を全部手放したものの、地方でも大学の非常勤職は続けていましたし、私の道は細々ながらも途切れることなく続いていくと思っていました。ですから、夫が東京に転勤になることが決まったとき、私は心底嬉しかったのです。また、私のキャリアを積んでいくことができると思いました。
しかし、今度は生後七ヶ月の娘が一緒でした。娘はこのうえなくかわいかったし、夫もともに子育てをしてくれたうえに、東京でも非常勤先が決まり順調に思えました。幸いにも、東京の住まいのごく近くに認可保育園があり、翌月から一時預かりの枠での入園が決まりました。そこから、保育園に預けながらの仕事復帰です。
現在娘は大学生です。その間、いろいろなことがありました。私はわりとなんでも「ちゃんと」やりたい性格のうえに、慣れない子育てをしながらの仕事。非常勤職というのは、断ればいつ次の仕事が来るかわからないという不安定な身分ですから、本能的に来た仕事はすべて引き受けてしまう。保育園に預けた娘は、発熱や病気ですぐに預けられなくなり、治って登園するとまた別の病気をもらってくるの繰り返しです。「こんなことで、子どもをちゃんと育てられるのだろうか」「キャリアはどうなるのか」。不安は尽きませんでした。
こうした道のりの中で、「教育とは何か」「子どもを育てるとはどういうことか」ということについて思い巡らすことが多くありました。私自身の子育てが一段落した今、このことについて書いてみようと思い立ちました。世界のどこかで人知れず悩んでいる「親」のあなたに向けて。
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