本当の私という意味だ。 本当の私などいないと思う人がほとんどだと思うが、私は本当の自分は存在すると思う。 私は精神疾患を患っている。しかし病名をつけるのは難しいと言われている。どんな精神疾患を患っているのかはわからない。が、精神疾患になる前となった瞬間はハッキリ覚えている。 だから私は何かしらの精神疾患を抱えているのだと思う。ただこれ!というピッタリ当てはまる病名は無いだけで。 本当の自分はいるのだろうかという話に戻ろう。いつも話が逸れる。 本当の自分がいると仮定し
私を表す言葉は『空虚』だと思う。 空なのだ。何も無い。 本質的な自分(そんなものがあると仮定すると) はきっと『無』なんだろうな。 無感情だし、魂がない。 自分がないんですよ〜という人は沢山いる。 そういう人は大抵自分の意見が言えないことを比喩して自分が無いと言っている、もしくは、ほんとに自分がないと感じているの2パターンあると考えているが、私の場合は後者だ。 自分がいない。自分は全て人からコピーしたもので生きている。自分の考えなど幼少期の頃から言えなかった。
昔の私の場合、自分に何ができるか分かっていなかった。趣味を仕事に繋げられる人もいるが、私は趣味の方面にまるっきし才能がなく、かろうじてできるのが勉強だったというだけだと思う。
運動とかは練習をいくらしてもできるようにならなかった。勉強はきちんと習えばできるようになるが天才的にできる訳ではなく、能力もまた平均であると自覚しています。今も勉強しなきゃいけないのに逃避行しています。
私は、昔の自分と今の自分はスペクトラム(連続体)ではなく、ぶつぶつと途切れていると感じています。ただ全部私であるというのは変わらなくてその上で責任というのも全部私が負うものであるし、昔やった事も全て今の私が背負うものであるということは当たり前のはなし。
私は後天的な要素で苦しんできたと自分では思っていて、よく頭の良さはその人の人生経験(後天的要素)で決まるというけれど、私はそこが圧倒的に足りない(どうしようも出来ない)からもう諦めて開き直って生きるしかないよなって話。
私が過去にどれだけ苦しんでいたかなんて誰も知らない。
XGの音楽ってなんでこんなにハマるのだろう。
お久しぶりです( . .)" 久野です。 久しぶりにnoteを開いてしばらく自分の文章を巡回していたのですが、過去の自分はこういう風に考えていたのか。と感慨深かったです。 で、この久しぶりのnoteで何をしたいかというと過去の文章はそのままで、過去と変わった部分を訂正のつもりで書いていこうと思います。 まず私は同性愛者ではなく無性愛者になった?という表現が正しいのではないかと思うのでここで、私は無性愛者であることを宣言しておく。なぜ変わったのかと問われたとするなら、『
バカにする
どうせ誰もわかってくれない。
noteを作った理由は言語化してそれを吐き出す練習をする為
昔から病気さえ無ければ、僕はもっとできるはずだと思うことが多かった。実際、病気になってから思考力や判断力がかなり弱くなったと思う。だから、僕はずっと惨めだった。唾液過多でしゃべれなくなり、回復してからも、精神疾患や呂律が回らないなどの後遺症が残ってしまった。
嫌いな人に媚びへつらうことしか出来なかったな。多分生物的に弱い種なんだよ、俺って。だから、他人より自分を下に置けてしまう。
昔から初対面で無理そうやなって思う人といつの間にか仲良くなってるんやけど、多分相手が自分にはないものを持ってるからかな。あとは、人を嫌いになれないから。人を嫌いになることってすごく悪い事のように思える。自分の中で嫌いって感情を抹殺してるんだと思う。
過去の嫌な記憶を思い出すものは捨てた方がいいな。