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創作するという事の今年から次へ

色々書いてますね、この人わ。
たまに言われるのは時代劇と現代劇を行ったり来たりして、頭爆発しないの!?って事。

個人的には色が変わるイメージはあるんだけど、本質的にはあまり差が無いかな。

時代劇は慣れている?いや、お前のなんちゃって時代劇で分かったような顔すんなや!💢と言われたら、それまでなんだけど。抵抗が無くすんなり入っていけるという意味では、やっぱり慣れてんだと思うのよ💦

すんなり入っていけるから、細かいディテールに拘るよりは、何をしたいかで考えてる。

結果いつも言うように、日常にフィードバック出来る人間の姿にしようとなるので、現実的には現代劇と変わってないのかもしれない。

それでも迷う事はあって、時々こうやって書く事を通して考えをまとめていたりはする。

時代劇はアクションを盛り込めるのと、命の感覚を入れ込めるのがいい。

人が死ぬ場面はあっさりと、それでも嫌だなと思えるようにしたい。

それは現実においての抑止力を持ってもらいたいから。
何をしたら、どうなるのか?
その想像力の芽にならなければ、人の生き死になんて扱って娯楽になる訳が無い。

極論だけどそれはSEXにも通じていて、どうやったなら楽しみから責任に変わるのか?というのも、想像力がないといけない。

だから時代劇で殺し合いをしながら、都会の夜の男女を書くのだと思う。

どちらも命に関わる事なのだと言いたいんだなあ。

それでいて今年に関しては、田中康介君が自分なりによく出来たと思えてるのは救いだと安心してる。

あれだけ何も無い状態から始めたくせに、上手くまとまっていると思ってる。

「月に濡れる。」とは違う意味での第一歩としての満足感は高いんだよなあ。それには書き過ぎないという事が出来ているのが、きっと大きいんだ。

読んだ方が想像する余地を残す。これが下手だった。無駄にカッチリと設定する弊害で、決め打ちを投げつけるようになってしまってきた。

本来はふんわりがいいのだと分かっていた事が、やっと実行出来た気がしている。 
そう出来たと思えているのは幸せなんですよ(笑)

さてまほろば六話が年明けを待たずにフライング気味に始まっています。これと「月に濡れる。沖田総司」が来年の時代劇のメインになるんだろうけど、どちらもそこそこの重さを持ってしまっている。

ただ重いだけのものをデコレーションで軽く見せる時代は、もう終わってるよね。エンタメってさーという挑戦をしなくてはと思ってる。

そしてその後の「まほろば始末譚」は、重さを鼻で笑うものにしたい。

そこら辺は龍が如くやら、バーチャファイターなんかを調べていて感心した部分だったりもする。
コア層でもなく、一般層でもなく楽しめる娯楽は理想的だと感じる。

どうやら、やっぱり自分はゲーム好きではないなあーと分かってしまった上で、一旦嫌気がさしたバーチャやSEGAゲームに惹かれてたなと納得出来たからこそ、こういう感覚を持ち込みたいと思う。

リアリティと妙な親近感。
来年はここに辿り着く為の試行錯誤が、またちょいと違う角度で始まるんだと思っている。

そこを超えて身に付けないと、どうにも自分の理想には届かないらしいんだよね。

てな、纏めと来年の抱負でした。
来年も何卒見捨てないで下さいねー!


マブ

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