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空気感と匂いがなけりゃリアリティってのは離れていくんだなあー
最近、こんな事を思っています。
大好きな女の子を抱きしめちゃった時、男は髪の匂いや身体から放たれる空気を吸い込んで、自分は選ばれた!なんて特権に酔ってみたりして。
そこが文字という平面にあったなら、たまらなく親近感を呼び起こさせたりする。
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そう、小説には絵が無い。だから平坦で、アニメや漫画にゲームなんかと比較したならば、一段暗くなるイメージを持っています。
だからこそ文字列で派手なアクションはどう表現されるのか?から始まった、僕の時代劇シリーズ。
最近は戦わなくてもいいんじゃね?と変わってきており、「剣」ではああいう展開にさえなったのですが、、、
それでもこのお題目は常に頭には有ります。
平面にある世界ならではの表現。それが立ち上がっていくジャンルの表現。当然違うのですが、だからといって平面らしさに従う理由も無いですよね?
派手な必殺技で爆発しなくとも、動きは理想と架空の中にあった方がエンタメサブカルらしい。
小説はその範疇に同列にあり、同じく受け止めてきたので、僕にとってはそうなります。
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その上で日常に根差した現代劇も踏まえて、度々書いてきた親近感というものが時代背景さえ超える。
そこに人間さえ居てくれれば。
空気や匂い、自分が触れる経験から五感に伝わるもの。
それを表現出来たならば、例えちょんまげをつけていようとも、身近さと呼べる。
当たり前で、幾多の方が成してきた事なんでしょうが、こちとら無敵の素人なもので手探りで見付けていくしかないのです。
そんな中で汗の匂いや髪の香り、熱や鼓動が伝わる瞬間がたまらなく尊い。
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綺麗事で終わらせない。
それが令和の表現な気がしています。
自ら率先して傷付きには行かなくとも、心の動きとそのインナースペースの働きは活発なんじゃないか?と疑っています。
ただそこに外にあるものに触れる行動や経験が気薄になってるのかもなあ?とも思っています。
だからこそ、平面の表現も空気感や匂いを放たなきゃならんのよね!
また高いハードルなんですが、最近の模索はここにあります。
まあ、最近ハマってる女性小説家さんの影響が後押ししてくれたんで、偉そうに言う事でもないんですがね(笑)
マブ