時代が3Dでも、やっぱKOFと餓狼伝説にこだわってた。

バーチャをやめた理由は様々あって
街の不良抗争の代替だったり
カードシステムだったり
プレイヤーの人間性が透けて見えたりだったり。

まあ、ここら辺は前に書いてる全部が本当。

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そんな時代は3D格闘だよ!
3D格闘じゃないとダサいんだよ!
なんて言われてた頃だったけど、僕はKOFと餓狼伝説はちゃんとやってたんだよなあ。

親近感からの共感性が大切なんだなあーなんて思ってる最近は、SNK作品はそれが上手かったんだと改めて思う。

実際はパラレルワールドみたいな日常なんだけど、それでもキャラクターに戦ってない時間が存在する。

その世界観での日常。
そこから格闘大会に出向くという部分がある。

それは夢見がちな理想の日常なんだろうけど、最近言っている外に出てちょっと歩いたら出会う世界なんだと思う。

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これも前に話しているんだけれど、劇画にこだわってた時期がある。

元々、目が異様に大きいキャラクターに違和感を持つ人だった。

それがジャンルの表現方法だと分かっても、ちょい苦手なままで、、結局劇画絵は自分に合ってるんだと思う。

もうひとつは少しだけリアリティが上がって、大人の物という雰囲気に惹かれたんだろうなぁ。

バーチャファイターも餓狼伝説に龍虎の拳も、動く劇画だと感じられていた。

裏路地で悪い組織なんかが絡んでくる。
バーチャは傷追い人のバトルのゲーム化か!?
なんて思ってたくらい。
ここはストⅢにも感じてた部分。

だから好きだったんだろうなあ。
KOFからはライトノベル的だと言われるのは、いきなり世界を救っちゃうからだろう。
強い格闘家が格闘技で世界の危機を救っちゃうのは、やり過ぎだし出来過ぎだとは思う。

それでもKOFは好きなままでいられてる。
それはやっぱりキャラクターの背景があるからなんだろうなぁ。

外に出て右に行くか左に曲がるかで、龍が如くの世界かKOFの世界に繋がるかが変わる。

全く別の存在でも分岐はそれだけなのかもしれない。

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ストリートファイターには、ここまでこだわらなかった。唯一の例外はストⅢだけ。

そこにあればいつも通りに遊べる作り方がされているから、離れていてもすぐに触れるし、更に深く追求する人にはスルメみたいな味がする。

餓狼やKOFはそれと比べると線香花火みたいで、その時期にのめり込まないと消えてしまう儚さもあった。

その上で次のシリーズが出ればまた出掛けて行く。
消えた火花の思い出が強く、触らない時期もキャラクターは生きて暮らしている気がしたからだ。

あー1年間、そんな事してたんだあ!

久しぶりに会う友人みたいな感覚でいられる。
それはそれで作品としてはスゴ味だなぁーと改めて考えてしまった。

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眠れない夜の戯言。
でも、この共感性は僕の書くものには無いと思う。

踏み込まなきゃなあ。
最近の課題になってる。

だから考える。
考えると頭が冴えて、また眠りが遠くなる。
遠くなりながらも、少しだけ楽しいという幸せを感じられてもいる。

現代物の書きたい方向は分かってきた。
それを田中康介君に組み込むか
新しい話にするのか、、

最近はそればかり考えていたりするんですよ。


マブ

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