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Musée du Louvre、レオナルド ダ ヴィンチ、“モナ リザ” (1503-1519)
ご存知モナリザ。あまりの知名度に語るのも気恥ずかしいくらいだが、影を描くこと、輪郭をぼかして表現すること、空気を表現すること、で平面に立体を表現するという西洋絵画の基本路線を完成させ、しかもその頂点を極めてしまった。付け加えるならば、この西洋絵画の基本路線はその後400年、基本的には20世紀初頭の抽象絵画の出現まで続くことになる。
知名度について、試みにインターネットで主な泰西名画を検索してみたが
Musées de la ville de Rouen、Claude Monet 、“Portail dela Cathedrale de Rouen” (1894)
モネはルーアン大聖堂の連作のために1992年、1993年の二度に渡りルーアンに滞在している。成果として33枚の傑作をものにするが、この連作はそれまでのポプラ並木、積み藁の連作以上の難産であったようだ。この年に結婚したアリス・オシュデ宛ての手紙に「ある夜、悪夢にうなされた。大聖堂が僕の上に崩れ落ちてきた。青やばら色や黄色の石がふってくるのが見えた。」とある。その苦労の跡は、画布に塗られた絵の具の層が
もっとみるMusée Malraux Le Havre、Eugene Boudin 、"Twilight on the commercial Basin at Le Havre" (1890)
若きモネに本格的な絵を勧めたことでも良く知られる、ブーダン66歳の作品。熟達した筆致が暮れゆく港町の空と景観を的確に表現している。すばやい筆使いが心地よく、その筆触はモネ晩年の睡蓮の連作を思いださせる。モネとの違いは水面の描写でも使われている筆触分割が使われず、モネのパレットには無かった黒が右手の帆船の影、マスト、後方の桟橋に多用されていることだろうか。
この絵が描かれた15年前、この絵の写生場所
Tate Britain、Joseph Mallord William Turner、“雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道” (1844年)
ターナーの代表作の一つだが、まず1944年に描かれた事実に注目したい。題名となっているグレート・ウェスタン鉄道の設立は1933年ということで、設立から10年後に描かれた作品である。モチーフとなっているファイアーフライ型蒸気機関車は1940年に導入されている。つまり最新の蒸気機関車がこの絵のモチーフということだ。この時代、フランスではアングルを中心とする新古典主義とロマン主義のドラクロワが対峙してい
もっとみるMuseo Picasso、パブロ ピカソ、“Sainte-Anne-la-Palud Mas del Quiquet" (1898)
1898年ピカソ17歳の作品である。この年から翌年にかけ、ピカソは同級生マヌエル・パジャレスとバルセロナから北方100キロ近くのサンジェルアンというい田舎町に滞在している。これはその時の習作の一つであるが、少年ピカソは田舎の農家の複雑な構造に興味を持ち、絵画的な視点から再構成、画面に定着させた。この美しい小品を眺めると、17歳のピカソが、絵画技術の全てを完璧に習熟していることがわかる。
この美しい
National Gallery、Leonard da Vinci、聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ (1499年 - 1500年頃、あるいは1506年 - 1508年頃)
製作年については2説あるようだが、モナリザ製作開始が1503年、ダビンチ50歳、ということなのでこの時期に描かれた円熟期の作品である。マリア(画面右)の微笑み、輪郭をぼかすことで奥行きを表現するスフマートの技法などモナリザとの共通点が見える。作品製作の下絵ということだが、特に顔の表情など細部まで完璧に表現されており、下絵であるとは思えない。
構図は全体として聖母子と聖ヨハネをテーマにした絵画では常
Neue Pinakothek、ヴィンセント ファン ゴッホ、「アリーズ風景」(1890)
前景に画面全体を二分する大胆な構図は明らかに浮世絵の影響である。全体に白を大量に入れた寒色系の色が支配的でオルセー美術館にある最後の自画像の色調を思い起こさせる。色調だけではなく、陰影表現でも影の部分の描写に白を混ぜた寒色系の色を使うことで明度を落とさずに立体を表現するなど共通部分が多く見られる。
前面の木の小枝の部分の黄土色は背景の絵の具が完全に乾ききってから描き加えられている。一気呵成に描き進