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Musées de la ville de Rouen、Claude Monet 、“Portail dela Cathedrale de Rouen” (1894)
モネはルーアン大聖堂の連作のために1992年、1993年の二度に渡りルーアンに滞在している。成果として33枚の傑作をものにするが、この連作はそれまでのポプラ並木、積み藁の連作以上の難産であったようだ。この年に結婚したアリス・オシュデ宛ての手紙に「ある夜、悪夢にうなされた。大聖堂が僕の上に崩れ落ちてきた。青やばら色や黄色の石がふってくるのが見えた。」とある。その苦労の跡は、画布に塗られた絵の具の層が他の作品と比べても格段に厚いことからも見て取れる。 上に塗られた絵の具が下層の絵
Musée Malraux Le Havre、Eugene Boudin 、"Twilight on the commercial Basin at Le Havre" (1890)
若きモネに本格的な絵を勧めたことでも良く知られる、ブーダン66歳の作品。熟達した筆致が暮れゆく港町の空と景観を的確に表現している。すばやい筆使いが心地よく、その筆触はモネ晩年の睡蓮の連作を思いださせる。モネとの違いは水面の描写でも使われている筆触分割が使われず、モネのパレットには無かった黒が右手の帆船の影、マスト、後方の桟橋に多用されていることだろうか。 この絵が描かれた15年前、この絵の写生場所から一キロと離れていない海側で、モネが“印象-日の出”を制作している。ほぼ同様の
Musee des beaux-arts、Paul Gauguin 、"Nature morte aux pommes" (1894)
1894年に描かれたゴーギャンの小品である。1891年タヒチに旅立ったゴーギャンはこの作品が描かれた1年前にヨーロッパに帰国している。パリにアトリエを構えヨーロッパでの再起を図ったが叶わず2年後には再びタヒチへと旅立つのだが、この絵はそのパリでの一時帰国中に描かれた作品ということになる。 一見してセザンヌの静物をうかがわせる。同一の色を重ねるタッチ、青みがかった陰(隣の林檎の赤との補色の効果)、多視点的な構図(2つの林檎の位置関係)、輪郭の処理、などなど“影響”というよりほと
Tate Britain、Joseph Mallord William Turner、“雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道” (1844年)
ターナーの代表作の一つだが、まず1944年に描かれた事実に注目したい。題名となっているグレート・ウェスタン鉄道の設立は1933年ということで、設立から10年後に描かれた作品である。モチーフとなっているファイアーフライ型蒸気機関車は1940年に導入されている。つまり最新の蒸気機関車がこの絵のモチーフということだ。この時代、フランスではアングルを中心とする新古典主義とロマン主義のドラクロワが対峙していたが、モチーフの斬新さ、時代性という意味でターナーのこの絵のが際立った革新性を見
Museo Picasso、パブロ ピカソ、“Sainte-Anne-la-Palud Mas del Quiquet" (1898)
1898年ピカソ17歳の作品である。この年から翌年にかけ、ピカソは同級生マヌエル・パジャレスとバルセロナから北方100キロ近くのサンジェルアンというい田舎町に滞在している。これはその時の習作の一つであるが、少年ピカソは田舎の農家の複雑な構造に興味を持ち、絵画的な視点から再構成、画面に定着させた。この美しい小品を眺めると、17歳のピカソが、絵画技術の全てを完璧に習熟していることがわかる。 この美しい作品を見て、セザンヌの構成、モネの色彩、ブーダンの筆触、モンドリアンのバランスな
National Gallery、Leonard da Vinci、聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ (1499年 - 1500年頃、あるいは1506年 - 1508年頃)
製作年については2説あるようだが、モナリザ製作開始が1503年、ダビンチ50歳、ということなのでこの時期に描かれた円熟期の作品である。マリア(画面右)の微笑み、輪郭をぼかすことで奥行きを表現するスフマートの技法などモナリザとの共通点が見える。作品製作の下絵ということだが、特に顔の表情など細部まで完璧に表現されており、下絵であるとは思えない。 構図は全体として聖母子と聖ヨハネをテーマにした絵画では常套となっている三角構図が用いられているが、注意してみるといくつかの仕掛けが組み入