障害受容とストレス対処
大学院ではSOC(sence of coherence:日本語で首尾一貫感覚)というストレス対処能力について研究していました。
臨床Ns時代に、慢性の病気を抱えて生活している患者さんのストレスに目を向けたことがきっかけで興味をもった理論ですが、研究でより深く知ることによって、自分自身のストレス対処能力の向上につながり、娘の障害受容に役立ったと感じています。
この理論、ものすごいストレス下のなかで、健康を損なわず過ごすことができた人に着目することで明らかになった理論なんですが、なんでできなかったのか、ではなく、できた人はなんでできたのか、に目を向けるその着眼点が好きで、もっと知りたいと思いました。
SOCは以下の3つの感覚で構成されているのですが、わが子の病気というストレスに対して、どう対処(障害受容)してきたのか、あてはめて考えてみました。
把握可能感
自分の置かれている状況が理解でき、見通しが立つことです。
娘が病気を診断されるまでの数日、不思議な動きがあったり、理由がわからず何時間も泣き続けたりしていて、何が起きているのだろう、と夫婦で検索魔になっていました。紹介状を書いてもらった大学病院で脳波を受けるまでにもさらに数日あり、その頃にはたぶんこれだろうな、と病名を予測していたので、診断された時はやっぱり、と腑に落ちたような気持ちになり、わからないことってこんなにも不安なんだと思いました。ウエスト症候群は初めて聞く病名ではありましたが、夫婦とも医療従事者だったので、慣れた環境の中、先生の話をわりと落ち着いて聞くことができました。ショックよりも、これからどうしたらいいのかも含めてちゃんと知りたい、という気持ちのほうが強かったです。完治を望めるこれといった治療法があるわけではない難病ですが、その事実自体も見通しとして理解したように思います。今は、デイやサークルなどで出会う娘の先輩や先輩ママたちと交流することで、就学後の生活をイメージしたり、次の見通しを立てているところです。よくない事実だとしても、「わかっていない」より「わかっている」方が圧倒的に心理的な負担が軽いと感じています。
処理可能感
何とかなりそうだと感じられることです。
治療に関してはその都度説明を聞きながら効果に期待してやっていくしかないと思ってきました。人によって効果は様々で、これをしたらよくなる、治る、という病気ではないので、そういう意味では何とかなりそうとは思えない部分があります。最初は治療のことで頭がいっぱいでしたが、そのうち、定型発達ではない娘の生活はこれからどんな風になるのだろう、という未来に対する不安な気持ちが出てきました。主治医から勧められリハビリを開始したり、療育というものがあることを知り、児童発達支援事業所に通い始めたり、導入から現在に至るまで多職種の方が娘に関わって支援してくださいました。なにかあっても対処していくためのたくさんのサポートがある、と実感することで乗り越えてこられたし、これからも乗り越えていけそうだと思えています。
有意味感
出来事には意味がある、生きる意味を感じられることです。
そう思うしかない、という部分もありますが、娘のおかげで知り得た世界や経験できたことがたくさんあって、確実に私の人生を豊かにしてくれました。自分の身に降りかかる出来事が、いい経験になるか、残念な経験になるかはその人の捉え方次第だともいえます。一般的に不幸といえる出来事も、いい方向に変換できれば、そこから得るものがたくさんあり、自身の成長につながると思っています。私は娘のおかげで、生活の優先順位や、働き方、仕事内容について改めて考え直し、今自分が心からやりたいと思える仕事に出会えました。看護師になろうと思った時やなった時には、障がい福祉の領域で働くことなど少しも考えていませんでしたが、自分の職歴を振り返った時に、不思議なことに今が一番しっくりきているのです。また、最近は娘にとって必要な情報を得るために、障害児ママのサークルに顔を出したりしています。集団に参加することや群れることは、昔からあまり好んでこなかったことですが、だからこそ、その課題が与えられたのだと思っています。娘の存在を通じて、自分にとって必要なことや足りないことが明確になったので、すべて私に必要な経験だったのだろうと今は思っています。
SOCはさまざまな経験を経て後天的にも伸ばしていける能力とされています。「だいたいわかった(把握可能感)」「なんとかなりそう(処理可能感)」「すべてのことには意味がある(有意味感)」、そう思うことでこの先おとずれる困難も乗り越えていきたいと思っています。