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お坊さんも人並みに傷つき、意地悪したくなる【#読書感想文】【芥川竜之介「鼻」】

芥川龍之介の「鼻」は1916年(大正五年)、「新思潮」に掲載されました。

掲載された「鼻」は夏目漱石に絶賛され、芥川の出世作となりました。
「今昔物語集」(平安時代末期)や「宇治拾遺物語」(鎌倉時代前期)が
元ネタになったと言われています。

誰もが悩んだ経験があるであろう「コンプレックスの話」です。

この物語の中でお坊さんが人並みにコンプレックスがあり、もがき苦しむ姿に親しみを覚えました。

お坊さんは、自分の鼻のことなんて気にしていないという風に振る舞って
いますが、実は絶えず気にしているんです。

読みながらお坊さんのそんな心情がひしひしと伝わってきます。
最初の方でもこんな風に言っています。

”池の尾の町の者は、こういう鼻をして云る禅智内供(ぜんちないぐ)のために内供(ないぐ)の俗でないことを仕合わせだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中にはまた、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。”

町の者は、禅智内供(お坊さん)は僧侶だから風変わりな奴で良かったじゃないかと言った。あの鼻では妻になりたいと思う者はいないと思ったからだ。中には、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者もいた。

私はこんな意味だと解釈したんですけど、鼻のせいで妻になりたい人がいない、というのは内具自身が思ったことで、誰かに言われたのではありません。

お坊さんが妻帯できるようになったのは明治五年なので、周りの人から
そんな陰口を言われる覚えもない訳です。

それをわざわざ言うのは高層である内供に対する嫉妬か、気にしなくて
良いのに気にしているような態度が気に入らないのか、単にいじりたい
のか分かりません。

でも、おそらくごく一部の人たちだと思うんです。

誰かに悩みを打ち明けたら、以外とみんな気にしていないことが分かるのに
と思いますが、

”鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧れて(おそれて)いた。”
”この自尊心の毀損(きそん)を恢復(かいふく)しようと試みた。”

とあるので、多分他人や弟子に話したことがないんです。
お坊さんは、自分は僧侶の身であるというだけではなく、絶えず鼻のことを気にしている事を周りに知られたくないんです。

お坊さんは深く傷つけられた自尊心を回復するため、周りの人に話すのではなく、鏡の前でどの角度からなら鼻が短く見えるか鏡の前で色んなポーズを試します。

他にも頬杖をついてみたり、顎の先に指をあてがったり、仏教関係の書籍やそれ以外の書籍を見てみたり、動物の排泄物を鼻に塗ってみたりするんです。

色々なことを試みましたが、鼻は一向に短くなりません。
それでも誰かに話そうという気にはなりません。

自分の鼻に日々悩むお坊さんでしたが、ある時、鼻を短くする方法を医者から教わったという弟子の僧が、お坊さんに「鼻を短くする方法」を伝授します。

この方法が、ほんと日本昔話を読んでいるようでした。
ここからちょっと寒気がするかもしれません。

鼻を熱湯に付け、人に鼻を踏ませるという、お仕置きのような行為なんです。

事細かく説明されていて、読んでいる方は内蔵を掴まれるような気持ち悪さ
がありました。

鼻に熱湯を付けると火傷するので、小鍋のような物に熱湯を入れ、四角くく薄い平らな板の真ん中に穴を開け、それを蓋変わりにし、穴に鼻を入れることにしました。

鼻だけなら火傷しないということで、鼻を入れてしばらく放置し、蒸された
状態の鼻を出します。

お坊さんは床に横になり、鼻を伸ばしながら、弟子は鼻の上で足踏みするんですよ。

足踏みが終わると、最後にもう一茹でして終了です。

お坊さんの鼻は、周りからいじられたことによって悪者になってしまったのでしょうか。

こんなとんでもない方法で鼻は上唇のあたりまで短くなり、お坊さんは
満足します。

でもお坊さんの気持ちとは違い、周りは短くなる前と変わりません。

お坊さんは周りの反応にショックを受け、誰でも意地悪く叱りつけるようになります。

弟子の立場からすると、それはもうハラスメントですよね。

そんな態度に、鼻を短くなる方法を教え、短くする手伝いをした弟子でさえも、法慳貪(ほうけんどん)の罪を受けるぞ、とお坊さんの影口を叩きます。

結局この数日後にお坊さんの鼻は元の長さに戻り、

”もうこの鼻を嗤う(わらう)者はいないにちがいない。”

とお坊さんは言っています。

お坊さんは「高僧たるもの〜でなければいけない」という思いが強く、自分で何とかしようとしたんですよね。

高僧でなく一般市民でも「〜でなければいけない」と思ってしまう気持ちは
すごく分かるような気がします。

でも高僧だから医者だから教師だから、悩みがないとか悩みを打ち明けてはいけない訳ではないですよね。

高僧でなければ荒治療に至ることも、周りの人を意地悪く叱りつけることもなかったんじゃないかと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。

でもお坊さんのために鼻の治療方法を医者から聞いたり、鼻の治療を手伝ったりして寄り添ってあげた弟子が陰口を叩いたのも分かる気がします。

もし後日談があるなら、お坊さんはまず鼻の治療を一緒にやってくれた弟子に話をしに行くんじゃないでしょうか。

昔の読み物ということもあり理解するのに時間がかかりましたが、人に話してホッとするみたいな事って大事だな、と改めて学ばせていただきました。


最後までお読みいただきありがとうございました。


素敵な一日をお過ごし下さい。










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