![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/159852515/rectangle_large_type_2_2a0df696af3f6e75caffd0adb85636eb.jpeg?width=1200)
ケベックのシャンソン紹介 「エヴァンジェリーヌ」
前書き
今回は余り馴染みのないケベックのシャンソンの御紹介です。
カナダでもフランス語圏のケベックでは多くのシャンソンが歌われています。その中の一つ[エヴァンジェリーヌ]を御紹介させて頂きます。
「エヴァンジェリーヌ(Évangéline)」は、1971年にケベックのミシェル・コントが作詞作曲。 カナダのフランス入植地アカディアの歴史を歌詞に盛り込んだ曲です。
18世紀フレンチ・インディアン戦争に際してイギリスが行ったフランス系住民への仕打ちと恋人ガブリエルと引き裂かれたエヴァンジェリーヌの苦悩が描かれています。
アニー・ブランシャールが淡々と歌っております。
字幕入りの動画です。訳詞を付けていますが、フランス語の単語しか覚えの無い私にも、視聴しているだけで心に訴えて来る詩に涙が溢れました。
戦争に寄って引き裂かれる愛の悲惨さ辛いですね。
エヴァンジェリーヌの訳詞
![](https://assets.st-note.com/img/1730238154-MR6AD5r9iwNcmlnkqX4KWxQh.png?width=1200)
星は瞬き、君はガブリエルの腕の中
晴天の日曜日、教会の鐘が鳴る
君は結婚式の白いドレスを着ていた
季節は秋
羊の群れは戻り鴨達は飛び去った
ヴァイオリンが鳴り響く夜は
娘達、特に若い男達は
君が綺麗だと言った
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238201-D8PUyfxtw9mANESeT5R3iqjn.png?width=1200)
然し、イギリス人がやって来て
村の男達を教会に閉じ込め
女達は泣き叫ぶ子供達と
海岸で過ごす夜が続いた
ある朝、ガブリエルは大型帆船に乗せられ
サヨナラも微笑みもなく出港した
波止場に一人残され
君は祈りの言葉さえ浮かばなかった
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238261-KvU5867OLcCsRuBJADgXlb0e.png?width=1200)
20年以上も
君はアメリカ中の野や谷を巡り
愛する人を探した
風はいつも彼の名前を囁く
心地よい音楽のように
例え心が挫けようとも
君の愛情は益々大きくなり
記憶の中の彼を脳裏に思い浮かべる
それは毎日、沈黙の庭園で花開く
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238660-fO1ZijUDMeE6HYRbJuqdxmrL.png?width=1200)
日々の中で唯一の希望は
自分より苦しむ人達を
助け、癒す事だと
悲しみの果てに学んだ
道はいつも
我らを愛する者達の前に導く
ある日曜の朝
君は村の鐘の音を
遥か遠くに聞いた
そして不意に理解した
長い旅が終わり
君の試練が終った事を
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238714-jpTz7UKWV35w1rnRSvbyk64N.png?width=1200)
目の前のベッドに
見知らぬ瀕死の老人が横たわっていた
朝の光の中で
不意に彼の顔立ちと
若き日の顔立ちが重なり
ガブリエルは君の腕の中で亡くなった
君は彼に口づけをした
生涯続くかの如き長い時に
多くの愛を注ぐ必要があった
有り難うと言えるだけの
気力を振り絞るために
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238827-bSrmBdTDCF08xKfkJIytXUeM.png?width=1200)
今もまだ
君の国に暮らす人々は
君の名前を憶えている
海が君の事を語り
南風が君の声を届けるから
森から平原まで
君の名前はアカディアよりも
祖国の希望よりも大きい
君の名前は多くの国境を越え
人々が知る
不幸にもかかわらず
愛と希望を信じた人
エヴァンジェリーヌ (2回)
![](https://assets.st-note.com/img/1730238900-TzrewiIEg1VWpjZ4AMftDxha.png?width=1200)
エヴァンジェリーヌの動画
🍁雑学[カナダ/ケベック州(フランス語圏)]の歴史
![](https://assets.st-note.com/img/1730239223-jnqALafxONbPlzWdmIQgMhSC.jpg?width=1200)
カナダと申しますと、ホットケーキに欠かせないメープルシロップが思い浮かびますね。
北米カナダには、元々は数種族の狩猟先住民(インディアン)が居住していました。
1492年にイタリアのジェノヴァ人航海者コロンブスがイスパニョーラ島へ到達し、アメリカ大陸を「発見」ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が進み、カナダのケベックにも1534年にフランスの探険家、ジャック・カルティエが到達しました。
彼はセントローレンス湾周辺を探検し、この地を「ヌーヴェル・フランス」(ニュー・フランス)と名付け、フランス王による領有を宣言したのです。
1604年にサミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベック(現ケベック市)に毛皮の貿易拠点が建設されて植民地開発が本格化します。
ケベック植民地が創設されたことで、フランス人による開拓が進み、1642年にはヴィル・マリー(後のモントリオール)市が建設され「ヌーヴェル・フランス」は、ミシシッピ川流域にまで及びます。
移民社会は通常、男性の入植者が圧倒的に多くヌーヴェル・フランスにおいても同様の傾向が見られ、フランス国王ルイ14世による「国王の娘たち」政策によって渡航費、支度金が与えられた女性達が入植し、男女比の改善と人口増加に繋がりました。
18世紀に入り英仏間による七年戦争「フレンチ・インディアン戦争」と呼ばれる覇権争いが起こり、ケベック、モントリオールが相次いで英軍に占領され、1763年に英領となりました。
英国はフランス人入植者との同化を目指したが、フランス人の多くがケベックを離れなかった事に加え、英国からの入植者が増えなかった事で同化政策を断念。
英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められました。
当時のフランス系住民は約6万人。 このため、カナダは英語とフランス語を公用語としていましたが、ケベック州では今日までフランス語のみが公用語となっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1730239530-s6rX7uPx5i4dAeStIKhQDklo.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730239561-LgCfHMFjd4XB1v7P0y6tzVI8.png?width=1200)
晩秋に聴くシャンソンも良いものです。
6分弱の長いシャンソンです。
御時間の有る時にどうぞ~🎼
本日も有難う御座いました。