人は変われる
<シネマでTOLK&本deコミュニケーション 30>
先週の<本deコミュニケーション>の続きみたいなのですが……
今週は高橋和巳氏の『人は変われる』という著書を入力・保存・処分した。
先週<29>の最後に……もし、あなたが本気で「これまでの自分を変えたい」と決断し、行動するなら……と書いたが、家のなかから『人は変われる』という本が出てきた。
「人は変われるのか?」というテーマに挑んだ著者の本を再読した。
結果を先に書くと、著者が下した結論は、「人は変われる」。
精神科医の著者は、患者の多くが変わっていく現実を体験した。
たとえば、うつ病患者が週を重ねるごとに、言葉が変わり、服装が変わり、最後には人間全体が変わってしまったという例。
アルコール依存症の男性は、後悔と反省を繰り返し断酒の誓いを立てても失敗していたが、結果、自分を変えることに成功した。
突然の事故で足を失った男性は、人生に失望し生きる気力を失っていたが、初夏の或る朝の光を見て「きれいだな」と感じ、この瞬間を境にして飛躍的に快方に向かった。
人間はよくできている。例外もあるだろうが、突然の不幸に陥ったとき……人は、嘆き悲しんで堕ちていくだけではなく、これまでと心が変わって現実を受け入れるようになり、逞しく元気に生きていくことができる。心が悲しみに対応していくのである。
コップに水がもう半分しか残っていないと嘆くか、コップにまだ半分も残っていると喜ぶかという違いについては、よく聞く話である。環境や状況や境遇が変わったことによって、これまでとは違い、喜ぶことができるようになる。それは、人間の不思議な自然の変化なのだろう。
人間は幸せに生きるために生まれてきたと言った著者もいる。だから常に心は、幸せを感じられるように変化するのかもしれない。
私は、藤平光一という「氣」の研究者の著書で知った「心が体を動かす」という言葉が好きなのだが(言った人は中村天風氏らしい)、高橋和巳氏も心の重要性を唱えている。
自分が若いと思い込めば身体はそれにある程度反応する。
解釈いかんでは、身体の老化の速度が緩慢になる可能性がある。
当書を読むまでは知らなかったが、新薬が開発されたとき、二重盲検法という検査をパスしないと薬効が認められないらしい。この検査の実施に当たって準備されるのがプラセボ(偽薬)。プラセボ効果を区別するため。
プラセボ効果とは、偽薬なのに「大変高価な良い薬で、よく効く」と言われて飲むと、実際に治ってしまうことがあるらしい。たとえば、本物の薬を飲んだ10人のうち8人は効果があった。ところがプラセボを飲んだ10人のうち4人も効果があったとすると、本物の薬の効果は8人から4人引いて=4人となるとのこと。
非常に稀ではあるが、ガンが自然に治ることがあるらしい。半年以内に死亡すると告知された悪性のガンでも、「自然退縮」することがあるらしい。
これも、心が成せる「奇跡」なのかもしれない。
人には、自分で変えられない「運命」がある。しかし「運命」は自分で変えられると著者は言う。
私は「運命」を「分」という言葉に置き換えて、昔から考えていることがある。
人にはそれぞれ持って生まれた「分」がある。両親が金持ち、親が著名人、代々地域の名家・旧家。親の「分」は子供の「分」でもあり、一目置かれたり尊敬されたり大事に扱われたり……。
反対に、自分が選んだわけではないが親は貧乏、親は働いても働いても貧しい暮らしから抜け出せない。そういう境遇の元で育った人もいる。犯罪者である家族を持つ人もいる。
資産家の家に生まれるか超庶民の家に生まれるか、自分では変えられない、どうしようもない定められた「分」もあるが、自分自身で自分の「分」を高めることは可能。親とは関係なく自分で自分の「分」を築くことはできる。
「変わりたい」と決断し、行動すれば、自分の運命は自分で開くことができる。
著書に書かれている文章である。
当書には、「説明」と「解釈」の違いとか、自主性がどうの客観性がどうのとか、純粋性がどうのとか、自分を変えるための第一の能力は自分から離れることであるとか、ちょっと難しくてすんなり頭に入っていかない文章も多い。
「40、50、60になったとき、人は自分から離れ、絶望し、純粋性を感じるという三つの機能を使いこなせるようになっている」という文章は「?」だが、「きっかけとなる小さな困難に出会うことができれば、人は新しい解釈を生み出し、人は変わり始める」という文面は、理解・把握できる。
「困難」とは、自分の体力や視力の衰えに気づくという「小さな心の動揺」でもあるらしい。
私も、大阪で失業して、知った人が誰もいない見知らぬ地方の町で暮らし始め、小さな不運や大きな感謝などを体験し、感じ……仕事に恵まれ多額の収入を得て自由気儘に暮らしていた昔の日々とは違う「変化」が起こり始めた。私は変わったと言える。
それは、客観的には幸せな変化とは言えないかもしれないが、私自身は、ありがたい幸せな変化だと思っている。
(先週<29>で「訂正とお詫び」をしたばかりなのに、慌てる時間帯に綴ったわけではないのに、その<29>でレギュラータイトルにミスが。<本deコミュニケーション>です。再び訂正しお詫びします。)