チェックボックス
本を読みました。イスラエルの本で、
『母親になって後悔してる』
という題名の。なんとも興味深くて。
この本は、「自分は母親に向いていなかった」と、母親になったことを後悔しているイスラエルのたくさんのお母さんたちに、オルナ・ドーナトさんという社会学者・社会活動家の方がインタビューを行って書いた本です。2016年に出版されました。
イスラエルでは、女性に対して子どもを持つこと、それも一人や二人の子どもではなく、三人か、できれば四人!、という社会的な圧力があるらしい。
子どもを三人とか四人って、わたしは持ったことがないから本当のところは分かりませんが、かなりのハードワーク?……なのではないでしょうか?わたしなんて、もし、もっと若くして産んでいたとしても、二人以上育てられた気がしませんが。
子どもを持つということは、親の1日の時間の中に、無理やり、その人が産んだ子どもの人数分の1日を詰め込むということだと思います。
わたしの個人的な実感で言えば、少なくとも子どもが10歳になる頃まではずっと、物理的にも、精神的にも。
もしも子どもが三人居れば、ひとりの人が一日で、本来処理できるはずもない四人分の一日をあたふたと暮らすようなことになります。
わたしの一日の中に、もうさらに一人二人分の一日……? 入る?
単純にかけ算ではないのかもしれないけど、いくら子どもが好きでも、どれだけ大変なのかは想像に難くないです。もしも誰も協力者がいなかったらどうなるんだろう……?
この本の中に出てくる、一人のお母さんが言います。
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だから〔それが〕メリットなのか?
多分そうです。あらゆる面で闘う必要がなくなります。「家族の前線」で闘わなくてすみます。なぜなら、常にイスラエルのユダヤ社会では「いつ子どもを産むつもり?」「子どもはひとりでは不十分よ」といった言葉が飛び交っているからです。その役割は果たしたのだから、その点では闘わなくてよくなるのです。他にまだ果たしていない役割があっても問題はありません この点においてはチェックボックスに印が入ったのです。
友人に関してもそうです。社会的な付き合いの面で・・・私たちは、年齢とともに、さまざまな社会集団に出入りします。最初は高校の友達、次に軍隊の友達、そして大学の友達、それから友人の配偶者 次の段階になると、カップルに子どもができます。
すると共通の話題の焦点が変わり、大学で何を勉強しようとしているかではなく、胎児の様子、子どもの成長、歩き始めたかどうかといったことが中心になります。そして、その社会的な輪の中にいないと、それまで所属していたグループとの関わりが薄れ、〔友人たちとの〕やりとりが失われていきます。
私はあまり社交的ではないので、それほど気にならなかったのですが、そういった空気はありました。周りの人たちはこのグループに入り始めました。〔・・・・・〕〔母になることは〕社会への入場券のようなものです。これがあると、とても簡単に仲間に入ることができるのです。
(オルナ・ドールト 鹿田昌美訳 『母親になって後悔してる』)
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これはイスラエルの女性のことですが、どきっとしてしまいます。ちょっと、思ってしまいませんか?
「……わたしは、チェックボックスに ✔ を入れたということ……?」
「……あなたは、チェックボックスに ✔ を入れたということ……。」