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脱線
( ↑ 写真は「理想の草刈り後の風景」で、わが家ではありません😊😊)
え、まだやってるの?と呆れられそうだけど、今は、家の前の斜面の草を刈っている。
斜面だし、笹みたいな硬そうなのも生えているし、草が長すぎて絡まるから、鎌で刈る。素人なので自分で研いだ鎌は研げた感じがしなくて、すぐに刈りにくくなる。あっちの、どこから住み着いたか、野良の百合のところまで刈ろう、と、刈っていく。おばあさんのお気に入りだから、アザミ・ツワブキ・白い野良の百合だけは残しながら。
刈りつづけると、鎌を握っている手、草をつかむ手が、だんだん疲れて痛くなってくるので、意識を飛ばして、思い出に浸っていく。・
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わたしが2歳の頃、ここに両親が家を建てた。2歳とはいえ、迷路のようなコンクリートの家の土台の上に柱が立ち、屋根がつき、家になっていった様子は断片的に記憶に残っている。田んぼばかりの田舎に、小学生から幼児までの小さい子どもを連れて住み着いた、外来のわたしの両親。
両親と言っても、実家の父は海外出張魔で、普段は中東、アフリカ、中国などにいて、年に数回しか家に居なかった。
わたしなんて末っ子ではあるし、それほど父と話したこともなくて、仲良くしたことも、けんかをしたことも、そう言えば叱られたこともない。それなのに、今入院している父に着替えなどを持って行くと、父はあからさまに嬉しそうな顔をするので、戸惑ってしまう。
前回行ったときには、病院のホールのテレビでしばらく、野球を一緒に見たのだけど、嬉しそうにぽつぽつ話す父は、何にいったい喜んでいるんだろう。なんて答えたらいいんだろう。と困ってしまった。看護婦さんにも「娘さんが来てくれて嬉しいですねぇ?」と、声を掛けられた。これもまた、なんて答えたらいいんだろう、だった。
自分が感じている感情について、黙っていることは出来ても、わざわざやさしい嘘まではつけずに、わたしは、嬉しがられているらしきことを、嬉しがるふりをすることが出来なかった。ほとんど夢の中のようだ。その「嬉しい」は、どんな種類の「嬉しい」なのか、父に聞いてみたいけど、そんなことはもちろん聞けない。
わたしから見た父は、「父」という名札を付けた男の人 =今はおじいさん、というより近くに感じることができないのだけど(それとも本当は何か感じているんだろうか。)、父から見たわたしは「三女」という名札を付けた一世代下の人というだけではない、違った見え方があったりするのか、しないのか。とにかく、今までのデータがなさ過ぎて、父の思いそうなことが全然予測がつかないのだ。
それとも、もしかして人が自分に会いに来たという、単なる子どものようなうきうき感なのだろうか??(なんて聞かれても困りますよね😊)
商店街の大きな文房具店の娘だったおばあさんは、最初にここに住み始めたとき、「なんてさみしいところなんだろう、おとうさんはなんでこんなところに土地を買ったんだろう」と思っていた。という話が、おばあさんの口からときどき、だけど繰り返し出てくる。
その季節の朝には山鳩、夜にはふくろうなどの声が聞こえてくるわが家。聞き慣れるまでは、旋律としてちょっとさみしい。
「家を建てたばっかりのころは、近所に家も少ないし、家の周りには庭木も雑草もなかったから、そういう花が咲いたら、おー、よくぞこんなところに咲いてくれた、と思ったものよ。」と言いながら、雑草を抜いていたことがあったっけ。
だから、それだけは残して刈っていくのだ。
母は草刈り機なんて持っていなかったから、家の周りを全部、鎌で刈っていた。夏休みに部活から自転車で帰ってくると、母が毎日、麦わら帽子をかぶって、真っ赤な顔で草を刈っていた。わたしが帰ってきたのに気づいて、タオルでちょっと汗を拭きながら立ち上がって、
「見て、雲子。今日はこれだけ刈ったよ。」
と、美しく刈られた一画を指さす。
そうやって母は、お気に入りの雑草だけは丁寧に残して、自然でさっぱりと落ち着きのある、庭のような道のようなわが家の領域を維持していた。
わたしがやると、あんなに整った感じにはならない。刈った草を山盛りにしてみたり、体力が途中で尽きたり、ほとんどままごとのような草刈りにしかならない。草刈りぐらいのことでも、なんでこうも、らしさが出てしまうんだろう。「作品」みたいなものだと思う。
そうだ! 言いたかったのは、父のことでも、母のことでもない、草刈りは「作品」だ、ということだった。というわけで、続きはまた今度……。
(脱線が長すぎる先生っていますよね?)