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実は、私も仕事が続けられない時代があった。

HSPの私は、例に漏れず
転職を何回かしています。

理由はいつでも、前向きな転職です。
円満に、名残惜しまれながら辞めました。
……なんちゃって。
本当は辞めた最初の2回は
不本意!望んでこうなったわけではない!
だけど続けられなかった。
そんな退職でした。

今では『ちゃんとした大人の社会人』って
周囲には映っていることだろう。
『ちゃんとしてない昔の私』は、
親や昔からの友人しか知りません。

だけど、私はこう思う。
乗り越えて成長できた経験は、
『私は苦難を乗り越えられる人なんだ』
っていう自信を心に残してくれた。

それは41歳になった今も
その効果を発揮し続けてくれる。

仕事をすぐ辞めていた私が
社会人として安定できた日までについて
初めて振り返ってみる。

※今日は4000文字オーバー 長いです🤭


新卒で入った職場を辞めた


21歳、看護学校を卒業し国家試験も合格、
第一志望で就職できた京都の総合病院を
わたしは半年で辞めた。

どうして辞めたんだっけ。

覚えは遅くない。不器用でもない。

医療業界は、当然ミスは許されない世界。
それゆえ指導も細かに厳しい。

まあ厳しいとは言っても
必要な事を曖昧にせずしっかり指導してくださるだけで恐い意地悪な先輩はいなかった。

それなのに私は、とにかく全てが嫌になった。

朝は、始業時間の40分前に出勤
30分前より遅いと注意された。
(20年前の話、多分今は違う)

始業時間に行動開始できるように
その日の担当患者のカルテに目を通し
患者の状態や必要なケア等を情報収集
そして点滴のセット。

トロイ新人は
先輩方のお邪魔にならない様
最大限に気を使いながら。

わからない事だらけ。
看護の世界ではわからい事は
きちんとクリアにする必要があるのだけど
内向的だった私は
「いま先輩に声をかけても大丈夫かな」って
毎回すごく気を使いドキドキした。

患者さんに必要なケアを行う際に
「○○させてください」と
声をかける事だって
すごくストレスを感じた。

新人は疾患の理解を深めるために
課題(宿題)が出される。
家に帰ってもその課題に追われる。

日々の緊張感に加え
家でも仕事に追われる。
しんどかった。

今ならわかる。
HSPの私にとっては
そりゃあ工夫しないと
キツかったでしょうって。

若かった私、当時は知らなかったHSP気質。
日々をどうやって過ごせば
皆の様に当たり前に生きられるのか。
わからなかった。

さらに初めての失恋もした


しかもその年に
6年付き合った彼氏に振られて
人生唯一で最大の失恋をした。
本当、さいあく。

失恋のダメージがかなり大きく
エネルギーの大半は泣くことに使う。

しばらくは無気力でやさぐれていた私は
単発のバイトを時々しながら
何とか暮らしていた。

でも、時間の経過と共に
少しずつ元気が出てくるもので
そろそろしっかり働きたいという想いが
私に湧いてきた。

それでこう考えた。
「私には大きな組織よりも、少人数でアットホームな職場が合っているかも!」

次は地元のクリニックに就職したけれど


全員で8人くらいの職場。
みんな優しかった。
今よりずっと人見知りだった私でも
同僚にも少しずつ馴染めた。
仕事を覚えるのは早かったし
何も問題はなく、順調だった。

がしかし、3ヶ月で私は急に辞めた。
なんで辞めたんだっけ?
あー、やっぱり『何か』行けなくなったんだ。
何かってなんだ。自分でもわからず
『自分がダメなやつ』って事だと思った。
この頃もまだ、世の中にHSPの概念はない。

当たり前のことが当たり前にできない。
なんで皆、できるの?

そして今度は爽やかなニートになる


「私、看護師向いてないのかも。
一回、あえてゆっくり過ごしてみよう。
焦らずいってみよう」

前回は、ただ無気力だったニート生活。
今回は、考えた上で納得してのニート生活
同じニートでも、爽やかなニート!
←なんじゃそりゃ🤣


せっかく縛られない自由なニートだし
「じゃ、とりあえず、車の免許取ろう」
そう思いついた。

私の住む県は、免許と車を持っているのが当たり前の田舎県。高校を出た春か次の夏休みに
免許を取らせてもらう人が多かった。

でも、うちは違った。
私は四人兄弟の一番上で
当時の実家はお金がカツカツだった。
看護学校も寮費と学費が安いところを選び
奨学金で通った。
卒業後は京都のど真ん中に引っ越したので
車は必要なくて助かった。

大失恋して地元に帰った私は
同級生では珍しく
免許を持っていない人だった。

目標が決まった途端、驚く行動力を発揮


そこからの私ったら
急に別人の行動力を発揮します。

お金は全然ないのに
いきなり自動車学校に出向いて
2週間の短期コースを申込み。

入校日までの半月で
色々やって約30万円の教習代金を稼いだ。
今思い出してもビックリだなー。

そうして車の免許を取得した私。
目標を達成できたこと
自力で一歩を踏み出せたこと
自分やればできるじゃんって誇らしく感じた

車は例の元彼が
車を乗り換える予定だけど乗る?と言って
譲ってくれた。
3ナンバー白のセダン、デジタルメーター
オートライト、シートヒーター
サンルーフ、木目調の内装……
そこに、初心者マーク🔰笑

自分をふった元彼に車をもらって乗れる女🤣

そこからだ。
私の中で、何か明るく変わった感覚。

当時とても流行っていた
細木数子さんの六星占星術をたまたま読んだ。
そしたらなんと大殺界だったらしい・・笑
そんで今年から大殺界が終わり運気が上昇し始めでー

細木数子先生、占いってスゲー、と思ったよ。

これまでと別の職種に目を向けてみた


ただ看護師に戻るのは
やっぱり気が向かず、
なおかつ憧れのデスクワークをやってみたい!と思ったので通信で医療事務の資格を取ることにした。

コツコツ自宅学習が苦手な私も
目標が定まっていると
予想以上にサクサクこなせ
一番めんどうな『解いたテストを送る作業』も
遅延なくできた。

まだ学習期間を残していたある日のこと
なんだか気が向いたので
どんな求人が出ているのか
偵察しにハローワークへ足を運んだ私。

パソコンで医療事務を検索するのは初めて。
やっぱり看護師よりは求人が少ないな。
…と思っていたら
ある求人に私の視線がロックオン。

あ!私の子どもの頃からの
かかりつけ医院を発見!!
家から車で3分。
その医院、うまく言えないけれど
雰囲気がとにかく温かい。
私の母の信頼も厚く
なんなら弟はそこで産まれた。

即、プリントアウト、即、窓口へ!
問い合わせてもらうと
なんと既に5人面接予定があるらしい。

「どうしますか?」
「受けます!」

普段、無駄に考え過ぎる人なのに
急にカンが働く時がある。ビビっと!
これは行くべき!みたいな!

この直感はけっこう当たる。
思い起こせば私は
雰囲気の悪い環境には当たったことがない。

で、その時もやっぱりカンは当たり。
他の5人を蹴落として、笑
就職できたのだ✨

あーそこの雰囲気が温かいのは
前から知ってたから勘ではないって感じだけど、内部事情まではわかんないじゃん?
でも、予想どおり、人間関係も温かく
経営者であるドクターも
大きな温かい方だった。

初めてまともに仕事が続く


とは言え、また辞めたくなる不安はある。
「まずは3ヶ月頑張ろう。」

3ヶ月経つと
「次は一年経つまで頑張ろう。」

一年経つと、職場にも仕事にも
かなり慣れている。
ランチタイムと昼休みも
リラックスして過ごせる様になっていた。

一年続けたので、もう辞めたくなったら辞めてもいいだろう…と良い意味で肩の力が抜けた。

そうすると職場での居心地も
一気に良くなって、所属場所があることで
安心感も感じれるようになった。

「次は、3年頑張ろう。」
もう目標は設定しなくても続けられただろうけど、目標を決めるとなんだか安心した。

仕事へ行けない病が出ることなく
ここまで続けてこれたことが
とてもとても嬉しくて
やっとやっと社会に出られた!
頑張ったなー私…

以後、社会人として安定した、けれど…


その職場では6年勤めた。
途中で結婚と出産もした。
相変わらず居心地はいい。

ところがいつの頃からか、仕事への気だるさを感じるようになっていた。
いわゆる、マンネリ。
ぬるま湯にずっとつかってる様。

つまりは、飽きたんだ。

後にHSS型HSPの特徴と知ったけど、
安定が続くと刺激がなくて
元気がなくなるらしい。



私は決めた。看護師に復帰することを。


口実としては
医院での医療事務は、夕方帰るのが遅く拘束時間が長い。慌ただしく家事をこなしていると
子どもと接する時間も心も余裕がない。
実際そんな暮らしにも疲れていた。

小さな子どもを育てながらの
ワークライフバランスを考えると
パートになって家庭にかける
比率を増やしたい。

看護師であれば需要も大きく働き方選びやすい。尚且つパートでも、収入は扶養に入らずともいけるくらいになる。

なんてのは、単なるキッカケで
本質はやはり飽きたんだと思う。

こういう理由で、今回は
円満に応援をしてもらいながら
大きな花束をもらって退職をした。

それからは、再び総合病院にて
日勤のみのパートで看護師として勤務。

今は運動専門のデイサービスの看護師として
HSPの気質を生かしながら
あるいはHSPの課題と向き合いながら
働いている。


私たちの時間は限られている


あんなにすぐ辞めていた私が
こうして『ちゃんとした大人の社会人』になれたのは、免許を取ろう!と自分なりに
一歩行動したことが
大きなキッカケになった。

過去を振り返ってみて思うこと
何でもいいから、小さくても行動することで
少しずつ流れが変わっていく。


転職も何回でもすればいいと思う。
どんなに頑張ろうとも合わないものは合わないし。さっさと辞めて自分が自分に満足できる働き方を探す方が、効率がいいと私は思う。

ただし、自暴自棄はダメだ。
あくまでも、自分を満たすための
選択をしていく。


私たちの時間は限られている。
人生は一度きりしかない。
あっという間に年を取って
脳も身体も衰えていく。

これを念頭に置いてみると
色んな場面で、迷った自分を
助けてくれるんだよな。







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