もう、私は、断崖絶壁です。
今年の9月に60歳になる母が、ボケ始めています。
私は過去に2回、閉鎖病棟で隔離された経験がある上、統合失調症と言えば『誇大妄想』で、医者は、家族から聞いた話しか信じないのです。と、なると、自分の記憶よりも、母の方の記憶の方が優先順位が高いのです。
最近、入院するまでの間の自分はどんなんだったかな?と探りたくて、母と振り返りをしてみたりしているのですが、やはり、自分の記憶と母の記憶は食い違っています。
父は既に他界しているので、母と2人でアパート暮らしです。
私は、母が怖いです。
なぜなら、統合失調翔の子の家族は、子を、演技で騙して、病院まで誘導するからです。
私は、人生2度目の入院の時に、今の主治医から大量に精神薬をもられて、脳がダメージを受けてしまいました。寝てる時間意外は、毎日幻聴に悩まされていて、週に2回ほど、頭がおかしくなります。もう1人の自分が気持ち悪い言語を連投してきて、動作を止めようとするのです。たとえば、毎晩の夕飯の支度の時。いつもなら、小皿とコップと、お箸🥢と、母がスーパーで買ってきてくれたお惣菜をレンジでチンする、などの行動が、簡単にできるのですが、週に2回、それすら手につきにくくなるのです。そんな簡単な事さえ、できないけど、できるんですが、不安でたまらなくなるのです。何もかもが不安で、母が、帰り道に事故に遭ったらどうしよう?などと、心配したり、気分が落ち着かなくて、部屋中を歩き回ったりしてしまうのです。この、部屋中を歩き回るのはアカシジカというらしいのですが、今ここで言っておきましょう。
精神薬のせいです。
入院や通院で、薬💊漬けにされて、頭がおかしくなってしまうからなんですよ。
不眠の原因も精神薬ですよ。
今になって、母が『ごめんね』と謝ってくるのですが、表向き仲良くやってるように見せてますが、私は、母に早く死んでもらいたいです。心の奥では、母にボロボロにされた経験の痛みがあるからです。
今の主治医には本当に失望しています。『母親は偉大だ。』と言ってました。なんて三流な医者なんだと思いました。この時点で、気づいて、もっと早く違う病院🏥に行くべきでした。
母親が正義なんて、綺麗事なんですよ。
この前やっと、母が、心療内科で、『あなたは生まれつき発達障害です。よく今まで誤魔化して生きてこれましたね。』と医者から言われたんですよ。
この事を、今の主治医に言えばよかった。この前の受診の時に。
なんで、私はこんなにマヌケなのかな…。
中学生の、時に、塾長から、『サーヤは詰めが甘い。』と言われたんです。
いつも、真実に気づくのがギリギリ。すぐ何かに囚われて、依存してしまう。
高校受験に合格した時は、塾長が、『これでサーヤは一生勝ち組だ。』って、抱きしめてくれたんですよ…。
高校生の時も、恩師から、『早くあの母親から離れないと人生終わるぞ。』って言われたんですよ。
中学の時の面談では、担任の先生が、うちの母親見て、警察に電話しようとした。
これらの過去の現実を、母はすっかり都合よく忘れてるんですよ。
小学校三年の時に既に桂病院で、私が、統合失調症だと診断されたことも、忘れてる母。しかし、この記憶は、今行ってる病院のケースワーカーさんが、『桂病院にカルテがある。』と言っていたので、今回はちゃんと、"証拠がある"。
人は、そんなに簡単に、妄想に浸らない。特に、目で見た記憶は、確かな現実だ。
それらの記憶を全て『あなたは今、妄想に取り憑かれてます。』という、医者たちは、きっと浮かばれないだろう。
母が憎いなんて思ってない。そんなくだらない感情いらない。
母を憎む以上に、こうやって、ギリギリになってやっと真実が見える自分自身の詰めの甘さ、
マヌケさが、ほんとうに悔しいんだ。
だからと言って自殺は考えてない。私の場合はね。
昔、私に向かって『死ね死ね』言ってた奴らだって、今頃パフェ食ってテレビ見て笑ってるんだから。
そんな奴らに、負けないでね。
私はね、幸せでした。いつ死んでも悔いないんです。
ただ、母親の存在が強烈すぎた。それがしんどかった。
中学の時の担任の先生が、『沙耶さんの母親が過激やねん。しかし、この話を警察が信じるかどうかや。』と言ってた。
でも誰も助けてくれないんですよ。自分で地獄から脱出するしか、方法はないんですよ。
私はね、この地獄の海に、さらわれてしまえばいいと思ってる。
こんな厄介な病気になってしまった以上、死の海にさらわれるのが1番の安楽死。
早くあっちの世界に行きたいだ。
あの世に旅立ちたいんだ。
充分幸せな人生だったから。
早く、天国の景色が見たい。